恐怖の語部 第十怪

花嫁が落ちる!

 私は悩んだ。お見合いの話があって、丁重に断ろうと思ったのだが、この話を持ってきたのは直属の上司である部長で、いつも私を面倒見てくれていたので、断るにしても断りきれなかった。しかもお見合い相手は社長の親せきのお嬢さんだと言う。
 私が勤める会社は中小企業で政財界ではあまり知られていなかったが、ある上場会社に、この会社の業績を評価され、業務提携とともに会社も大きくなり、共同資本で製作所を設立する計画も出るようになった。このプロジェクトチームの責任者として、私が選ばれた。
 私は高校卒業とともにこの会社に入社した。以来、約二十年間働き続け、気がつけば年齢が三十代後半になっても、まだ独身だった。ひとり暮らしの生活を心配してくれたのか、部長がお見合いの話を持ってきたのである。最初は断ったのだが、部長は諦めなかった。実はこのお見合いには裏があって、将来私を社長にするための駒だと言う。いわゆる政略結婚というものだ。
 部長という人物は、社長がいちばん信頼を置く側近の中の側近といわれる重役だった。秘書課とも通じ、営業にかけては才知に長けていた。社長がナンバーワンなら、部長はナンバーツーだとも言われた。
 そして、そのナンバーツーである部長に才能を見出され、目をつけられたのが、この私である。今やナンバースリーとも言われ、将来社長の椅子に座るだろうという予想も社内で出まわっていた。
 そんな時期に出たのが、共同資本による製作所設立(プロジェクトチーム)とお見合いの話である。チームの責任者の話は快く受け容れられたが、お見合いの話は一応了解の返事をしているものの、私には気が重かった。将来的に考えれば良い話であることにはちがいないのだが……
 実は私には会社の誰も知らない秘密があった。
 人が行方不明になるという現象は、今もって不思議で世紀の謎だ。SF作家や科学者、専門家などの話では、空間のひずみや時間のずれ、時空の狂いなどによって生じると言う。あるいはパラレルワールド(多次元宇宙、あるいは多次元世界)の存在を信じる者も出て来る始末だ。自分の意思か、他人によるものか。犯罪の匂いがあれば、拉致か誘拐、あるいは殺人による消滅だろう。災害(台風や地震、津波など)による行方不明は、なぜか神秘的とは言わない。この場合、消息不明と言う。
 私は人が行方不明になることについて、正体を知っている。いや、知っていると言えば言い過ぎかも知れないが、少なくとも、ある場所に関連しているのではないか、と思っている。ある場所、それは、底なしの穴、のことである。
 登山が趣味の私は、休日や連休を利用して、地方の山をよく登った。単独で、あるいは仲間とともに、またある時は恋人とアベックで、日本中あちこちと山を登った。同じ趣味を持つ者同士、恋人と何でも話し合えた。別の会社勤めで住んでいる地方もちがったが、文通を続けて、お互いの気持ちを確認すると、将来を誓い合う仲に至った。
 話が横道に逸れてしまったが、単独で登山に行った時のことだった。場所や山の名はあえて伏せておくが、前人未到の路があって、そこをしばらく歩いていくと、不覚にも滑り落ちそうな感覚があった。何とか落ちずに済んだが、見ると、直径約一メートルの穴が、路の真中にポッカリ開いていたのだ。
 何かの落とし穴だと思ったが、穴を覗き込んでも底が深いのか、真っ暗で何も見えない。試しに近くにあった小石を拾って、それを穴の中へ放り投げてみた。底に当たる音がすると期待したのだが、いつまで経ってもなかなか音がしなかった。ふと思いついて、巻尺を取り出した。最大十メートルある。テープ状のものさしを引き出して、穴の深さを測ってみた。しかし、十メートルになっても底に当たる手応えを感じることができなかった。巻尺を戻そうとして、誤って巻尺を落としてしまった。耳を傾けたが、やはり音がしない。
 これは新発見か、と心が躍ったが、冷静に努めた。この発見を誰にも知らせず、心中に秘めることにした。
 そんなことを思い出していた私の頭の中を、犯罪に利用できるのではないか、という思いが一瞬掠めた。
 登山を通じて知り合い、将来を誓い合った恋人ではあったが、実を言うと、多少マンネリ気味でもあった。交際して五年以上続いていたので、結婚の話になると、まあいいか、といういい加減な気持ちで承諾してしまったのだ。そんな状態なので、お見合いの話があるので別れてくれ、と言っても彼女は聞き入れてくれないだろう。何でも欲しいものは手に入れないと気が済まない彼女の性格を充分知り尽くしている私にとっては、その存在さえなければ、といつも思っていた。
 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼女が私の住居へ訪ねることになった。こともあろうに、花嫁衣裳ができたからそれを着て見せたいと言うのだ。仕方なく、綺麗だ、美しい、などとほめることにした。満足そうに喜ぶ花嫁姿の彼女を見て、私はあることを思いついた。
「そうだ。君にぜひ見せたいものがある」
「え、何かしら」
「外に出よう」
「こんな時間に?」
 夜の宵だったが、構わずに花嫁姿の彼女を外へ連れ出し、私が運転する車の助手席へ誘導した。
「どこへ行くの。花嫁衣裳が汚れるわ」
「素敵な所だ。きっと花嫁に似合うよ」
 私は車を飛ばした。あの場所へ行くために、無我夢中で運転していた。あの、底なしの穴のある場所へ……
 真夜中になって、ようやく着いた。不安そうに周囲を見まわす彼女を何とか連れ出し、一度通ったことのある前人未到の路を歩いた。彼女は花嫁衣裳のすそを気にするあまり、前へ進みたがらなかった。それなら私が抱きあげてやればいいと、お姫さま抱っこをしてやった。驚く彼女をよそに私はただひたすらに歩き続けた。暗かったが、半月の月光が路を照らしてくれたように思う。
 やっと着いた。私の抱っこから解放されて立った彼女は、周囲を見まわした。
「わたしに見せたいものって?」
「あそこを見てごらん」
「え?」
 半月が暗雲に隠れて闇になった。
「暗くてよく見えないわ」
 と言う彼女の声を聞きながら、私は思い切り彼女の肩を押した。
「あ!」
 それはあっという間だった。半月がまた現れ、月光によって少し明るくなった。彼女が落ちた底なしの穴と、心臓が爆発しそうな私の姿があった。
 それからの私はとんとん拍子だった。お見合いの話も悪くなかった。式場や日取りなども決まり、花嫁衣裳(レンタル)も決まった。
 結婚式の日は快晴だった。式や披露宴は華やかに盛大に行なわれた。私も、妻になる花嫁も幸福至極だった。
 披露宴も終わり、ハネムーンへ向かう前に花嫁がブーケを投げる時が来た。披露宴に居合わせた女性誰もが我勝ちに手をあげた。その中のひとりの女性の顔に、何かが落ちた。
「いたぁい。何か落ちたわよ」
 顔に手をあてた女性は、落ちたものを拾うと、素っ頓狂な声をあげた。
「何よ、これぇ。誰よ。小石なんか投げたのは!」
 女性の手に持った小石を見た私は、あッ、と思わず叫びそうになった。また何かが落ちたらしく、別の女性が叫ぶ。
「これって巻尺じゃん。なんでこんなものが落ちてくるわけぇ」
 ま、まさか!
 私は思わず上を見あげた。同時に女性たちの悲鳴があがる。
「きゃあーッ!」
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