恐怖の語部 第五怪

おまえは誰だ

 この頃、私には奇妙な体験が続いている。
 たとえば、毎朝乗っている電車に、その日の朝に限って寝坊したために乗り遅れてしまったが、その電車が脱線事故を起こし、死傷者が数十人出たと言う。
 たとえば、仕事の関係で地方まわりしていた時に、交差点で一歩出遅れたおかげで交通事故に遭わずに済んだ。その事故の死傷者は数十人出たと言う。
 またたとえば、工事現場の近くを通りかかろうとした時に、頭上から鉄材が落下する事故があったが、幸い、その手前でつまずいて転んだおかげで無傷に済んだのだ。
 ほかにもいろいろあるが、どれもこれも一歩まちがえば命にかかわることなのだ。それがほとんど無傷に済んでいる。虫の知らせというやつか……
 あるいは、運のいい奴だと思われるかも知れない。だが、これらの事故の前には必ずと言っていいほど、奇妙な現象を目撃しているのだ。そのおかげで事故に遭わずに済んだと言っても過言ではない。
 奇妙な現象……それはひとりの男の存在だ。それも決まって、いつも背後の姿しか見てない。しかも信じられないことかも知れないが、その姿・形はなぜか私と非常に似ている気がしてならないのだ。
 私に限らず、人間は誰でも自分のうしろ姿を見たものはおるまい。いや、あったとしても、それは写真か画像によってしかないだろう。なまで自分の背中を見ることはできないはずだ。大きな鏡を使って見ることはできるが、その場合、顔は自然とこちらへ向くことになる。
 私の見た男はいつも背中姿だけで、顔は一度も見たことがなかった。横顔すらも見たことがない。それでも体つきや服装、格好、歩き方など、非常に私と似ている。
 ドッペルゲンガー、というやつか。
 もうひとりの自分を見たなら、何かの事故、災難を免れるということを聞いたことがあったように思う。真相はどうか、わからない。わからないが、その存在に気づいたおかげで、私は事故に遭わずに済んだのだ。ある意味では命の恩人と言えるかも知れない。むしろ、守護霊とさえ思うようになった。
 私には殺しておきたい人間がひとりあった。長年つき合っている彼女だ。それが最近マンネリ気味になっている。そこへ別の女性が現れ、私とつき合うようになった。それから気まずい三角関係が続いているのだ。
 できることなら今の彼女を選びたい。器量がいいばかりでなく、彼女の家は資産家だ。将来の遺産相続に眼がくらんでしまったのだ。こうなると前の彼女とは別れなければならない。しかし彼女は聞き入れてくれなかった。結婚するまで絶対あきらめないと言う。
 私は弱った。困った。その存在さえ消してしまえばどんなに楽だろうとさえ考えてしまった。
 そんな時だった。まさか、あの男を見ることになろうとは……
 ある夜、デートの約束があった。前の彼女から強引に約束させられたので、気分は乗らなかった。予定では、会社の仕事が終ったあと、通勤に利用している電車から途中下車して、彼女の待つ喫茶店へ行くことになっている。
 彼女の指定した駅に降り、定期券で改札を通った。駅を出て目的の喫茶店を探していると、ふいに見たのだ。あの男の背中を……
 雑踏の中を進み、小さくなってゆく背中を見つめながら、とたんに不安になった。もしや、何か事故があったんじゃないか。
 目的の喫茶店を見つけるや、交通事故が突発した。信号無視の暴走車に彼女がはねられたのだ。横断歩道で信号待ちしている間、私(いや、おそらく私ではないだろう)を見つけたらしく、青とともに走り出そうとした矢先だった。
 まもなく救急車が来て彼女は運ばれた。もちろん私も同乗した。病院に着くと同時に手術が行われた。私の連絡で彼女の両親が駆けつけて来た。手術は時間がかかった。
 私は複雑な気分だった。彼女さえ死んでくれたら、とずっと思っていた。それなのにまさか、あの男が出て来たせいで彼女は消されてしまうなんて。こんな都合のいいことってあるか。私の命を助けてくれるばかりでなく、私にとって害になる人物をあやめることもできるのか。
 あの男は私の分身という形態ではなく、心や気持ちという無体物が独立した超常現象的存在だと言うのか。幽体離脱とか言うものではない、別な意味の……
 私はそらおそろしくなった。願ったり思ったりしただけで、あの男の力ですべて私の思い通りになるなんて……単なる偶然の積み重ねだとしても、やはり必然的に思わざるを得ないだろう。
 案の定、手術は不成功に終った。悲しみにくれる両親をよそに、彼女は私に最期の言葉を言い残して静かに息を引き取った。
 最期の言葉――
 彼女にとって怨みのこもった言葉だった。たったひと言しかなかったが、それは私の胸に重くのしかかった。
 病院を出ると、またもやあの男の背中を見かけた。複雑な気持ちでいた私は、すぐカッとなった。あの男を追おうとした。が、見失ってしまった。いや、見失うと言うのではなく、周囲の闇に溶けるように消えたのだ。
 まだ心残りだったが、あきらめて帰途に着いた。タクシーを拾おうとしても深夜のためか、なかなか捕まらなかった。仕方ないので、しばらくは歩いた。まもなく自分の家に近づいて来た。と、またもや見たのだ。あの男の背中を。
 すぐ捕まえて詰問しようとしたが、気を静めて尾行することにした。
 おかしい……
 だんだん私の家に近づくではないか。見慣れたいつもの道路、電柱、家並……と、あの男は私の家のドアを開け、中へ入ったのだ。あの野郎、と心でののしりながら急いで家へ駆け出した。家と言っても二階建ての木造アパートで、一階にひとりで住んでいる。
 そのドアを開け放した同時に電気を点けた。部屋全体に照明が点くと、まぶしかったが、ひとりの存在を認めた。だが、その顔を見ると、私とは似ていなかった。まったくの別人だ。私は誰何した。
 おまえは誰だ。
 すると、その男は右手に包丁を握って、私に突っかかって来た。腹に鈍い痛みを感じると、私は立っていられなくなり、もろくも倒れた。
 部屋は荒らされていた。現金や預金通帳などの貴重品はられたようだ。男は泥棒だった。左手に鞄をぶらさげ、右手に血だらけの包丁を握ったまま、逃走してしまった。
 私は動けなかった。腹から血があふれている。助けを呼びたかった。が、声が出ない。薄れゆく意識の中、ふたたび見たのだ。あの男の背中を……
 私は気力を振り絞って言った。
 おまえは誰だ。
 すると、一度も顔を見せたことのなかった男が、ゆっくり振り返った。その顔を見たとたん、この世の恐怖という恐怖をいっぺんに集めたような恐怖を覚えたのだ。
 ドクロ!
 私は彼女の最期の言葉を思い出した。
 死神、と――
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