恐怖の語部 第九怪
仮想の花嫁
あなたの花嫁になりませんか――
「何だ、こりゃァ」
オレはたまげた。毎日のように携帯電話に迷惑メールやら出会い系勧誘メールなどがよく来るが、こんなサブジェクト(題名)ははじめてだ。あなたの花嫁になりませんか、だと……?
もし差出人が女なら、「わたしを花嫁にしませんか」とか「わたしをお嫁にもらってくれませんか」とか、言うだろう。「あなたの花嫁になりませんか」とはいったいどういう意味なんだ。
サブジェクトしか見てなく、内容はまだ見てなかったので、そのメールを開いてみることにした。
http://www.virtual_bride.com/
「何だ、こりゃァ」
メールの内容はそれだけだった。そのホームアドレスしかなかったのだ。バカバカしくなって、すぐ削除しようとした。が、削除ボタンを押そうとした時に、その携帯電話が鳴った。タイミングがタイミングだったから、オレは少しドキッとした。
「もしもし」
だが、しばらく待っても何も返っては来ない。オレはもう一度呼びかけた。
「もしもし」
それでも何も聞こえない。イタズラの無言電話かと思って、相手の送信先を確認してみると、オレはたまげた。
「な……」
http://www.virtual_bride.com/
これは、あのホームアドレスじゃないか。
「どうなってんだ、こりゃァ」
ふつう、送信先には相手の電話番号とかカスタマイズで名前とかニックネーム、あだ名など、登録したものしか出ないはずだから、Webサイトのホームアドレスが出ることはない。未知の相手なら[未知]と表示されることになっている。オレは気味悪くなって電話を切ろうとした。
『もしもし』
その時になって相手の声が聞こえた。女の声だ。いや、どっちかと言うと、デジタルのようだ。オレは思わず携帯電話を耳にあてた。
「ハイ」
『あなたの花嫁になりませんか』
「……あ?」
『あなたのご注文通りにいたしますので、何でも希望をおっしゃってください』
「あ、いや、あいにくだが、オレは間に合ってるんで。じゃ、な」
オレはすぐ耳から携帯電話を放して、通信を切った。最初、機械のように冷たい声だったので、録音用テープか何かだと思ったが、応答のタイミングから見て、生の女性が話しかけていたのだろう。妙に甘ったるい声で、男心をくすぐるような喋り方だった。きっと美人なのかも知れない。そう思うと、何だかもったいないような気もした。
アルバイトが終わって、ひとり暮らしのアパートへ帰り着くと、オレは部屋をまちがえたのかと思うくらい、驚いてしまった。普段オレは清掃なんてしない。食べたものの食器は置きっ放し、ゴミは散らかし放題、本や雑誌類は部屋の隅に山のように積み重なっている。要するに面倒くさがりなのだ。それがいつの間にか、整理整頓していて、掃除もよく行き届いていて、ゴミ箱のようだった部屋が綺麗になっているのだ。
「いったい誰が、オレの留守に掃除なんか……」
考えてみれば鍵は閉めてあったのだから、合鍵がないと入ることはできない。心あたりは大家(アパート管理人)の奥さんしかないのだが、住人に黙って部屋を掃除するのだろうか。念のため、オレは携帯電話で大家の奥さんに訊いてみた。掃除なんかしてない、という答えだった。それじゃ、いったい誰が……
「まさか、泥棒が掃除することもあるまい」
ハッと思ったオレは、すぐ金品などを確認したが、何も盗られてなく、無事だった。その時、携帯電話が鳴った。ちょっとびっくりしたオレは送信先を確認すると、また驚いた。
「な……」
また、あの奇妙なホームアドレスなのだ。
『もしもし』
なぜか不気味なものを感じていながら、携帯電話を耳にあてた。
『いかがですか。少しは綺麗になれましたか』
「え、ま、まさか、キ、キミが掃除してくれたと言うのかい」
『ええ』
「いったいどういうつもりなんだよ。誰に断って、こんなことしてるんだ」
『ご迷惑でした?』
「迷惑も何も。理由だよ。それにどうやってここへ入ったんだ」
オレは大事なことをすっかり忘れていた。冷静を失っていたから、相手が何者で、自分を知っているのか、という疑問を思いつきもしなかった。
『ごめんなさい。あなたの花嫁になりたくて……』
それからすすり泣くような声がしたかと思うと、一方的に切られた。
「あ、おい。もしもし!」
何度も呼びかけたが、通信は切れたままだった。納得しないまま、オレはもう一度部屋の中を見まわした。よく整理整頓しているが、人間らしいぬくもりが感じられなく、むしろ機械的な空間のようだった。
翌日の晩、アルバイトが忙しく、帰りが大変遅くなってしまったので、コンビニでは弁当が売り切れになって、食料品もほとんどなくなっていた。仕方ないので、菓子類と飲みもの(ビールや茶類)を買って、アパートへ帰った。部屋のドアに近づくと、料理のいいにおいが漂ってきた。どこか部屋の住人が調理しているのだろう、としか思わなかったオレは、それが自分の部屋からのものだとわかった時は、さすがにドキッとした。昨日の掃除の例もあったからだ。
「ま、まさか……」
部屋の中は真っ暗で鍵はかかっていたから、鍵を開けて恐るおそる電灯を点けてみると、オレは愕然した。食卓の上には炊きあがったばかりの炊飯器や手の込んだ料理が並べられているのだ。それらを見ると、なぜか無意識的に携帯電話を取り出した。すると、同時に鳴ったのだ。ギクッとしながら送信先を見ると、やはりあのホームアドレスだ。
『さぁ、冷めないうちに召しあがれ♪』
「いったいどういうつもりなんだ!」
オレは思わず怒鳴ってしまった。
「キミはいったい誰なんだ。なぜこんなことをするんだ」
『誰って、わたしはあなたの花嫁じゃないですか』
「花嫁だぁ?!」
オレは怒りの感情を抑えることができなくなっていた。アルバイトで失敗があって、むちゃくちゃしてもいた。
「オレとキミは結婚したわけでもないのに、勝手に花嫁と名乗られては困る。キミはいったい誰なんだ。名前を言ってくれないか」
『……わたし、ケイコ』
「ケイコ?」
ありふれた名前だ。
「どういう字で書くんだ。名字は?」
『携帯電話の携よ。名字はバーチャルという意味の仮想。わたしの名前は仮想携子(かそうけいこ)。よろしく』
「仮想携子?!」
ふざけた名前だ。いや、本名だろうと仮名だろうと、この行動は一般常識をはずれている。ひとつまちがえば、家宅侵入の罪になるのではないか。
「今どこにいる。とにかく逢って話を聞こうじゃないか」
『……ここにいるわ』
「あ?」
『いつもここにいるわ。あなたがいつも肌身放さず、同じ場所に、わたしは住んでいるわ』
こいつ、頭がおかしいんじゃないか、とオレは一瞬疑ってしまった。
「ここって、どこのことだ。場所を言ってくれ。オレもそこへ行くから、逢って話を聞こうじゃないか」
『今もお話してるじゃない』
「いや、電話じゃなく、実際に顔を見ながら話がしたい」
『………』
「もしもし?」
『逢って、後悔しない?』
「逢ってみなければ、何とも言えないね」
『わかったわ。でも、今はまだ何も言えないわ』
「じゃあ、日時と場所を言ったら、逢う約束をしてくれるか」
『……声だけでは満足しないのね』
「あ?」
『また電話するわ。おやすみなさい』
「あ、おい、もしもし!」
また、一方的に切られてしまった。食卓の料理を見ると、腹の虫が鳴った。どこの誰ともわからない女の料理なんて、食べる気にならないのだが、空腹に勝てず、つまみ食いしてみた。
「うまいじゃないか」
いつの間にか、箸をつけてご飯を食べ、気がつくと全部平らげてしまった。
その晩、不思議な夢を見た。真っ暗な闇の中で、何か輪郭のはっきりしないものが見える。目を凝らしたり、近づこうとしたりすると、だんだん人間の形になった。顔を見ると、逢ったこともない女だった。何も身にまとってはいなかった。全裸だというのに、オレの存在に気づいても、恥じるところか、笑いかけながら両手を広げている。オレを受け容れようとしているのだ。オレはまるで意思もないかのように、女に抱かれるまま抱かれた。何かがほとばしり、麻薬に犯されたように、深く眠りに入った――
翌朝、起きると、食卓には朝食の用意がしてあった。昨夜、晩食のあと片づけをした覚えはないのだが、例のように綺麗に片づけられた。オレはもはや怒る気力も失せた。気づくと、食卓に携帯電話があった。同時に鳴った。まるで、待ってました、と言わんばかりだ。
『おはよう』
携帯電話を耳にあてるや否や、仮想携子の声が軽やかに聞こえた。昨夜のことなぞ、あまり気にしてないようだ。
『昨夜はご飯食べてくれたのね。ありがとう。嬉しいわ』
「あぁ、おいしかったよ。ごちそうさま」
思ってもみなかった声が、オレの口から勝手に出た。バカな、これはオレの意思じゃない!
『今朝も腕によりをかけて料理をつくったのよ。さぁ、召しあがれ』
「あぁ、いただきます」
何と言うことだ。まるで意識と体が別になったみたいだ。右手がいつの間にか箸を握り、オレの口の中は食べものを噛んでいる。味なんか何も感じられない。
『今日もお仕事がんばってね。行ってらっしゃい』
オレは携帯電話の画面を見て、思わずギョッとした。その画面の中にオレと女がいた。その様子は新婚ほやほやの夫婦みたいだ。仮想携子らしき女が、オレのほほにキスしようとしている――
恐怖を覚えて思わず携帯電話を投げた。
「なッ!」
オレの体が……
オレの体がだんだん消滅しているではないか!
【新誠の書斎】http://www.drhp.org/syosai/