恐怖の語部 第十四怪

雛人形

 三月三日、上巳(じょうし)の節句でひな祭を行なう日である。女児の成長を願い、ひな人形を飾りながら、歌を歌ったり、縁起のよい食べものを供えたり食べたりして祝う。
 ひな人形に限らず、人形(にんぎょう)は女児の玩具であり、あるいは地方によって男児とも女児とも共通玩具としての人形もあるし、現代では一部の男性でも人形愛好家も増えている。
 昔、ひとかた(ひとがた)と言って、信仰・宗教で祓(はら)えの対象として使われていた。病、災難、悩み、苦しみなど人間の身に降りかかるあらゆる厄(やく)を祓うための身代わりが人形(ひとかた)で、形代(かたしろ)とも言われた。当時の人形は紙か藁で作った粗末なものであったが、時代が移り変わると、秀麗なものになって贅沢になり、いつしか女児の玩具となるようになって、次第に女児の成長を願うためのお祝いごとになっていた。元来の形代としての人形の役割が忘れ去られつつあった。
 街はひな祭のムードでにぎわっていた。人形店やおもちゃ屋では、豪華なひな壇に飾られた綺麗なひな人形、ぬいぐるみのかわいいひな人形、アニメキャラクターがおびな、めびなに扮したものなどが並べられ、食料品店では菱餅、ひなあられなどが売られている。
「……はぁ」
 ショーウィンドーで豪華なひな人形を眺めてはため息をついている美見(みみ)の姿があった。
 高校を卒業するまでは人並に家族と一緒にひな祭を祝っていた。就職するとともに親元を離れてひとりで暮らすようになると、金も時間もなく、余裕もなかったので、一年に一回しかないひな祭をだんだん祝おうとしなくなり、気がついたら十年以上経っていた。婚期も逃してしまっている。
「もうすぐ三十歳になるのに、今さらひな祭を祝う年頃でもなし、ひな人形を飾るにしても、うちのアパートは狭いし」
 買う気がなくて、眺めるだけでため息つくだけだった。
 今日もいつものように会社で仕事をし、定刻で退社、友人たちと一緒に夕ご飯を食べたあと、友人たちと別れてひとり、ウィンドーショッピングを楽しんでいた。
 アパートへ帰ると、まず入浴する。一日の疲れを取るように半身浴で一時間弱、その間に髪の毛や体を洗う。そのあと、缶ビールを一杯ゆっくり飲みながらパソコンで日記を書き、それが済むとインターネットを楽しむ。そして就寝するのが平日のパターンだった。
 最近インターネットで見ているのは、ひな祭に関する事柄だった。その歴史や人形の飾り方、種類、由来、意味など、今まで知らなかったことを知るようになって、大変勉強になった。そんなとき、妙なウェブサイトを見つけた。
『あなただけのオリジナルひな人形を折紙で創ってみませんか』
「お、折紙?」
 思わず興味を覚えた美見は、そのサイトを覗くことにした。丁寧な画像と説明でひな人形の折り方が書かれてあった。折紙というよりは紙でつくる創作人形で、最後には次のような注意があった。
『たとえ、つくり方が難しくて不恰好にできあがってしまっても、それを決して捨てたり、破ったり、粗末にしたりしないでください。さもないと、あなたの身にとんでもないことが降りかかるでしょう。もし、そのようなことがあったとしても、当方は責任を持ちませんので、どうか悪しからずご諒承くださいませ』
「なぁに、これ」
 不思議に思いながら、美見はそれでも興味深いものがあった。折紙が好きで、舟とかやっこ、風車など、とくに折鶴はボランティア活動で病気見舞いなどのために千羽鶴をよく折った経験があった。
 早速、そのページ内容をプリントアウトした。次の休日で一日中つくってみようと思いながら眠りにつく美見であった。
 休日――
 美見は朝から四苦八苦であった。プリントアウトしたページの内容通りに折り進めているはずなのに、思った通りの形にならないのだ。山折りや谷折り、裏返しなど、ページの文字を読み飛ばさないように、順番に折ってみても、人形の形にならない。
「これって、もしかしてデタラメに書いているんじゃ……」
 美見はページの内容をじっと睨んで読み返した。そのとき、何かの音があった。ハッとして見定めた美見の視線の先には、パソコンがあった。起動しているのだ。
「え、あたし、何も触ってないのに」
 パスワード入力画面になったので、美見はおそるおそるキーボードを打った。
「え、ど、どういうこと?!」
 なんとデスクトップではなく、いきなり例のサイトが現れたのだ。
『今、あなたは折り方がわからなくてお困りですね。お困りでしたら、次のページへ進むために、ENTERを押してください』
 半信半疑で美見はENTERを押した。すると次のページにはさらに折り方をわかりやすくした説明があった。水を得た魚のように、美見の手が次つぎに折り進んでいった。
 完成した折紙のひな人形は少し不恰好な部分もあったが、満足だった。のっぺらな顔には、ペンで簡単に描いた。折紙と言っても立体的ではなく、平面的につくってあるので、立てて飾るのは無理があった。思いついて写真立てか絵画の額に入れることにした。ちょうどよい大きさの額があったので、それを部屋の壁に飾った。
 美見はとても充実した笑顔で眠りについた。
 しばらくすると、呼吸ができない苦しさに襲われた。まるで四方からガラスの板を押しつけられたような感覚だ。苦しみもがきながら美見は、できるだけ自分の体を動かそうとした。何とか起きあがった美見の視線は、壁に掲げた折紙人形の額に向かっていた。懸命に伸ばそうとする美見の右腕が、額に触れそうになったとき、美見の脚がもつれて転んだ。誤って美見の指が額を突く形になり、壁から額が落ちた。家具の角にぶつかって、ガラスにひびが入った。
 とたん、美見の呼吸が戻った。生き返った思いで何度も息を繰り返しながら肩を大きく動かしている。ベッドに戻った美見は気絶したように深く眠った。
 翌朝、目覚めた美見は右腕に違和感を覚えた。チクッと鋭い痛みが走ったかと思ったら、血で真赤になっていた。ベッドも赤く染みている。
「え、いつの間にケガしてたの?!」
 部屋を見まわした美見の眼が一瞬釘づけになった。瞳孔が見るみる大きくなる。あの折紙人形が、美見の座机にきちんと飾ってあった。たしか深夜、額を落としてガラス板が割れたのは覚えているけど、そこまで片づけた覚えはない。不思議なことに額と割れたガラスのかけらなどは綺麗に掃除してあった。
 折紙人形を見つめていた美見は、またもやギクッとした。ガラスが割れたときに破れたのか、人形の右腕が少し欠けているのだ。美見の右腕からも血が出ている。これは暗合だろうか。
 このケガでは仕事できないと思った美見は会社へ欠勤の連絡をした。それから一日中落ち着かなかった。例のサイトの注意書きを思い出して、少し怯えていた。
『捨てたり、破ったり、粗末にしたりすると、あなたの身にとんでもないことが降りかかるでしょう』
「こ、こんなことって、逆じゃないのよ?!」
 昔、形代(かたしろ)とも言われた人形(ひとかた)に、あらゆる厄災を代わって降りかかってくれるように祈り、川に流せば、すべて幸福になれると言う……
 恐怖のために我を失いそうになって、思わず折紙人形を握りしめた美見は、ゴミ箱へ投げ捨てようとした。が、辛うじて思い止どまった。こんなことすれば、今度は自分の身にもっと大変なことが起こるにちがいない、と思いなおしたからだった。
 やがて、夜になった。美見を心配した会社の友人たちが、美見の部屋へ見舞いに来た。
「どーしたん、美見。ケガしたって?」
「うん」
「顔が真っ青じゃん。ちゃんと食べてる?」
「うん」
 友人たちの問いかけに受け答えする美見は、絶えず折紙人形のことが気がかりだった。
「あら、かわいいひな人形じゃん」
 友人のひとりが気づいた。それに連れて、ほかの友人たちも、人形を眺めたり、触ったりした。美見にとって命が縮む思いだった。
「あら、右腕、破れてんじゃない。美見、何かしたん」
「何でもないの。お願いだから返してちょうだい。大切に、ね」
 ヘンに思いながら友人は人形を美見に返した。美見は大事そうに座机に飾った。
 友人たちが暇(いとま)を告げる頃になって、みんなで一緒に玄関へ出た。
「ワッ、冷たい風」
 玄関のドアを開けたとたん、強く冷たい風が流れて、部屋を通った。瞬間、座机の人形が吹き飛んでしまった……
 そうとは気づかない美見は友人たちを見送るために、アパートの二階から階段を降りようとするところだった。その足先が階段を踏みはずし、美見の体が安定を保てずに回転してしまい、そのまま階段の下へ落ちた。
「キャーッ、美見!」
『思い知るがよい。人間ども。人形にばっかり厄災を押しつけて、何ひとつ苦労も知らずに、それで幸福になれるものか。何年も繰り返した人形の苦しみを、今、怨みの形で祓う時が来たれり』
 ふと、そういう声が折紙人形から聞こえたかと思うと、人形は風に吹かれるように、どこかへ消えた……
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