深い霧の闇に包まれた世界を、ひとり歩く者があった。さっきの少女である。ここは現実の世界ではなく、異次元空間だった。やがて誰かの気配を感じ取った少女は、足を止めた。
「お久しぶりです」
「これは和泉零さん。お久しゅうございますね」
少女の声に反応して霧の中から出現したのは、江戸時代より三百年も生きている日本人形のお菊だった。
「最近、妙な霊の存在を感じます」
「妙な霊と申しますと」
「今、現実の世界では交通事故が連日のように起こっています。それも現場が近い所ばかりなのです。ただの事故ならあたしは動きませんが、いつだったか、たまたま現場の近くを通りかかったら、妙な霊の存在を見つけました。もちろん普通の人間が見ることはできないので、霊視です」
「さようでございますか」
「犬のような形ですが、おそらく<妖霊獣>じゃないかと思います」
「何と、妖霊獣とは」
能面のようなお菊の顔が驚くような表情になった。
「連日の事故現場に見かけることがあるので、何か関係があるのかも知れません。もし奴が犯人だとしたら、放っておけません」
「それでは、やはり、まにいぬさんの力が必要だとおっしゃるのでございますね」
「そうです。かつて九尾狐を倒したまにいぬの力をぜひ」
「………」
「お菊さん、どうかしたんですか」
「せっかくでございますが、今のわらわでは、まにいぬさんの行方がわかりませぬ」
「え、まにいぬの行方がわからない?」
「さようでございます。あれ以来、いくら呼びかけても、まにいぬさんは現れません」
「何かあったんですか」
「もしかすれば、九尾狐と闘ったときに本能、戦闘本能が甦り、それがまにいぬさんの性格を変えたのかも知れませぬ」
「そうですか」
「お気を落とさないでくださいましな。零さん。必ずわらわが見つけてごらんに入れましょう」
「よろしくお願いします。それじゃ、あたしはこれで」
「またいつでも何なりとお申しつけください」
お菊のあいさつを背中で聞いた霊能力少女、和泉零は一度振り向いてうなずいたあと、どこかへ歩き去った。
現実の世界へ戻った和泉零は、事故に関する詳細を調べるため、新聞を読んだり、テレビのニュースを見たり、図書館へ行ったり、インターネットで検索したりした。その結果、どうやら最初に起こった事故が原因のようだと判明した。
「うーむ」
あまりにも悲しい事情を知った零の表情が険しくなった。
「これは復讐なのか。だとすれば何とか止めてやらないと、犠牲は増えるばかりだ」
そう懸念した零はこれ以上の犠牲を出さないために、事故現場の付近を張り込むことにした。今夜は一段と冷えて、風も冷たく、雪さえ降りそうだ。寒さと闘いながら、街の様子が見渡せる高層ビルの屋上で見張りを続けた。もしかすると今夜は現れないかも知れない。
「ムッ」
一台の車が信号を無視して交差点に差し掛かったので、何台も車たちが衝突し、たちまち火炎地獄になった。零は眼で捜し求めた。得体の知れない存在、妖霊獣がきっとどこかにいるにちがいない。懸命に捜し続ける零の視線が何かを捕えた。
「いた。奴だ」
見つけた零はすぐ駆け出した。屋上から飛び降りるように、だ。その気配に気づいた妖霊獣も逃げるように駆け出す。街から街へ、ビルからビルへ、車の屋根から車の屋根へ、果てはビルの屋上からビルの屋上へ、常識では考えられない激しい鬼ごっこが何分か続いた。
「渇!」
これ以上体力が持たないので、零は霊能力を使うことにした。右手のひらから放った霊玉弾が妖霊獣に命中。
「グヮッ」
妖霊獣が悲鳴をあげながら転げ落ちた。
「そこまでだ。妖霊獣」
零が用心しながら近づいた。妖霊獣を撃った霊玉弾は一時麻痺させるために威力を弱くしたので、命に別状はない。
「なぜ毎晩のように事故を起こした」
詰問する零に対して、妖霊獣は唸るばかりで何も答えようとしない。何とか逃げようと躰を動かしても、躰が言うことを聞かない。ただ唸るばかりだ。
「ううううううう」
その頃、闇の異次元空間で、お菊は聞き慣れぬ泣き声を耳聡く捕えた。それは怨念のこもった泣き方のようだった。
「ううううううう」
お菊はその声のするほうへ、誘われるように向かった。
「お姉さん、レオンをいじめないで!」
その声が聞こえたとき、お菊は大きく驚いた。
「あ、あなたは!」
それは実体を持たぬ魂の存在だった。実体もなければ仮の姿もない、形すらもない、あるのは声だけだ。声だけの存在、そのものである。
「あ、いけない。零さんを襲うのは」
お菊が止めようとしたが、遅かったようだ。
「ヌッ?!」
動けないはずの妖霊獣が突然起ちあがったかと思うと、零に体当たり。
「うゎッ」
零は大きく吹き飛ばされて転んだ。その隙に妖霊獣は逃げ去る。
「待てぇーッ」
たちまち妖霊獣は闇に消えるように見えなくなった。
「し、しまった」
零は悔しそうに唇を噛んだ。
「え、形を現さない存在?」
和泉零を異次元空間へ呼んだお菊がまず話したのは「形を現さない存在というものが現れました」ということだった。
「形を現さない、つまり姿を見せないというのは、これは<意識>という意味ですか」
「さようかも知れませぬ」
「それが、妖霊獣と何か」
「零さんが妖霊獣と遭遇されたと同時刻に、わらわはその存在に出逢いました」
「すると、やはり妖霊獣と関係があると見ていいわけですね」
「そう考えても差し支えないと存じまする。ただ……」
「ただ、何か」
「妖霊獣のような邪悪とはちがう、幼きおなごのようでございました」
「どんな人間であれ、心や意識は不可解なものです。それをいちばんよくご存知なのは、お菊さんじゃないですか」
「さようでございますね」
「また何かあったらいつでも呼んでください」
「もとよりそのつもりでございます。零さんもくれぐれもお気をつけなさってくださいまし」
それから毎晩のように妖霊獣の出現を待ち続ける和泉零だったが、姿も見せなければ、事故も起こらなくなった。
「やれやれ、あたしやお菊さんを警戒してるんだな」
零は、連続事故の犠牲になった遺族の様子をこっそり見まわった。どれもこれも飲酒運転が原因なので、マスコミからも社会からも哀れみではなく、自業自得だと言わんばかりの眼で見られた。
零はお菊の言った幼きおなごの存在を、遺族の中で求めた。しかし、それらしきものは見つけられなかった。
「やはり最初の事故が直接の動機なのかも知れない」
最初の事故はあまりにも悲惨な事故だった。帰省シーズンを終えてUターン、夜の海岸通りを運転中、飲酒運転の暴走車に追突されて、海の中へ落下した。すぐ地元の住民や消防団らが救助に向かったが、車の中にいた家族三人は即死だった。運転者と妻、小学生の女の子である。
事故を起こした運転者はひき逃げしたが、のちに警察に逮捕された。すでに酒は抜けていたが、状況から見てかなり酒を飲んで意識がハッキリしないまま運転したのが判明した。飲酒運転こそ殺人だ、と世間の非難を浴びたまま、公判中である。飲酒運転追放という社会現象になった。
「もしかしたら、死んだ女の子が復讐の霊となって妖霊獣を動かしているのかも知れんな」
零はそう推理してみたが、証拠はなかった。それと気になることがひとつあった。幼きおなごの声が妖霊獣の名を「レオン」と呼んだ、とお菊が教えてくれた。
「レオン、か。遺族の中に飼い犬がいたかも知れんな」
今の心境は複雑だった。悪霊の類や邪悪な存在などを許さない和泉零だが、それ以上に人間の愚かな行動=犯罪がもっと許せない。人間社会でもっとも愚劣なのは殺人だ。ひとつの命が同じ命を意味もなく殺(あや)めるなんて、この世の自然界においてどんな動物でもないことだ。その人間が開発した走る凶器=自動車を誰もが自由に手に入れるようになったから、この世はまるで交通地獄、あるいは交通戦争だ。それを自覚しないで運転するのは運転者としての資格なんてない。
「おはよう。和泉さん」
和泉零は女子高生である。朝、学生でいっぱいの通学路を歩いているときに、零の背中をたたきながら声をかける女子高生があった。
「あぁ、なつみか。おはよさん」
「いつも冴えない顔してるね」
「ほっとけ!」
「アハハ♪」
「なつみ」
「え、何。和泉さん」
「あれから、まにいぬは帰って来てないのか」
「あ、うん。まだ帰ってないけど」
「心配だろうな。なつみ」
「えぇ、まぁ。でも考えてみれば、まにいぬとはふらりと出逢ったのだから、今度もいつかふらりと帰って来るかもよ」
「そんなもんか」
「まにいぬは放浪者だから、今もどこかで元気でいると思うよ」
「楽観的だな。あんたは」
いつも笑顔を絶やさない天野なつみだが、ちょっと真剣な表情で、
「和泉さん。何かあったのね」
「いや、何でもない。別にあんたが心配することでもない」
「そぉ」
今夜も和泉零は張り込みを続けた。無駄骨になるかも知れないと思いながら、辛抱強く、高層ビルの屋上から夜の街を眺めまわしている。
「今夜も冷えるな」
夜空には星ひとつ見えず、月も隠れるように黒い雲が浮かんでいた。冷たい風が肌を突き刺す。白い息を吐きながら、零は絶えず周囲を見まわしている。
「ムッ」
何かを発見した零は強く凝視した。白くぼやけたような物体が、交通戦場=都会の中に現れた。それが交差点に進むと、たちまち車たちの乱れが生じて連続衝突が起こった。爆発して炎と煙が吹き出た。
「野郎!」
妖霊獣の姿を認めた零はすぐ駆け出す。その気配を感じ取った妖霊獣も逃げるように走る。またもや激しい鬼ごっこが始まった。
「待てぇーッ」
逃がすまいと追いかける零と必死に逃げ続ける妖霊獣。人間の眼には見ることのできない、超時空的な、あるいは異次元的な鬼ごっこである。
突然妖霊獣の脚が止まった。用心深く脚を止めた零は、振り返りながら唸り声をあげる妖霊獣の構えを見た。妖霊獣は闘う気だ。
「ガルゥウーッ」
いきなり妖霊獣が跳躍。見あげる零を目がけて降下とともに、鋭い牙をむき出す。辛うじて身を躱した零は後方回転しながら呪文を唱える。妖霊獣は右脚の爪を喰らわそうとしたが、空発。
「渇!」
零の右手から霊光剣が飛び出た。鋭い刃先が妖霊獣を襲う。素早い身のこなしで妖霊獣は後退。そして前脚を屈伸させて一気に跳躍。
「グァルルゥウーッ」
獣の咆哮だ。大きく開けた口から牙が光る。それを防ぐために、霊光剣を構える零。カッギィーッ
霊光剣を強く銜(くわ)えた妖霊獣がそれを奪おうと激しく躰を動かす。それに引きつかれるように、零の躰も激しく動く。零は呪文を唱える。
「渇!」
すると、霊光剣からまばゆいばかりの光が発した。一瞬眼がくらんだ妖霊獣は口を放してうしろへ飛び退く。霊光剣を構えなおす零。しばらく睨み合ったまま動かない。
「レオン、そこまで」
ふと、どこからかそういう声が聞こえた。周囲を見まわす零は、いつの間にか異次元空間にいたことを悟った。レオンと呼ばれた妖霊獣はおとなしく座った。荒あらしい気力がなくなったので、霊光剣も消えた。レオンのそばに、ひとつの存在がぼんやり出現した。小学生の女の子だ。
「お姉さん、あたしたちの復讐を邪魔しないで」
「あたしたち、って誰のことだ」
小学生の女の子は一度レオンを見たあと、言い続ける。
「パパとママとあたしと妹、そしてレオンです」
零は驚くように、
「何だって。犬も同じ交通事故に遭ってたのか」
「ちがいます。レオンはずーっと前に別の交通事故で死にました。それも運転手がお酒を飲んだからです」
「そうだったのか」
零はレオンを見やった。あんなに激しく闘ったのに、今では哀れみを感じるような眼の色だ。
「教えて、お姉さん。大人ってどうしてお酒を飲んだり運転したり、してはいけないことを平気でするの」
女の子の訴えるような質問に、零は答えを見つけることはできなかった。
「あたし、大人のことがよくわからない。してはいけないことをなぜ守らないのか。なぜ平気でしてしまうのか。大人が決めた社会のルールなのに、それを守らないから、悲しいことばかり起こるんじゃないですか」
女の子の表情が悲しげになった。
「だから、あたしとレオンが復讐するしかない。お酒を飲んで運転なんかしてはいけないことを、ちゃんと大人が守ってくれるまで、あたしたちは闘い続ける!」
女の子は訴えるように叫んだ。
「大人なんて勝手な生きものだよ!」
とどめの言葉を吐いたあと、女の子と犬は闇に同化するように消えた。零は敗北感に打ちひしがれていた。
「さようでございましたか」
和泉零の報告を聞いたお菊は、うなずきながら重いため息を吐(つ)いた。その口で、言い続ける。
「小学生の女の子とおっしゃいましたね」
「そうです。年齢は十歳くらいと思います」
「わらわの見た姿なき存在の声は、確かにそのようでございました。しかし、まだ何か、大きな存在があるような気がして、なりませぬ」
「大きな存在、と言いますと」
「まだ、わかりませぬ」
「悪霊とか死神の類じゃないでしょうか」
「それだけなら何とか手の施しようはございますが」
「そいつらが、人間の怨念や復讐を利用していると?」
「だとすればこれほどやっかいなものはございませぬ」
「そうですか」
現実の世界に戻った和泉零は、連続事故を調査するあまり、世間のニュースや流行などに対して鈍感になっていた。だから、なつみの言動にピンと来なかった。
「和泉さん。最近顔色がよくないみたいだけど、大丈夫?」
「ん、いや、何でもない」
「寒くなってるから、風邪には気をつけてね」
「風邪か。そんなもの、あたしには無縁さ」
なつみは零をじっと眺めた。
「ん、何だ」
「和泉さんて気が強そうだけど、本当はどうなのかな」
「どういう意味だ」
「人は見かけによらないってこと」
「つまり外見と中身はまったく別なものだってことか」
「うん」
「心配してくれなくてもいいよ。なつみ。あんたも知っての通り、あたしは霊能力者だからね」
「その霊能力がなかったら、和泉さんはやっぱり和泉さん?」
「どういう意味だ」
なつみはちょっと考えるように噤んだまま、目を空(くう)に泳がせながら首を傾げた。決心したように、
「和泉さんに見せたいものがあるの。だから放課後、なつみとつき合ってくれる?」
「いいけど、何かあるのか」
「もしかしたら和泉さんの調べていることがわかるかもよ」
「何だって」
放課後、和泉零となつみが連れ立って、向かった場所は墓地の中だった。ひとつの墓石の前に停まったなつみは、墓標を眺めながら静かに合掌した。うしろから零が覗き込むと、『綾小路家累代の墓』と書いてあるのが見えた。
合掌を終えたなつみは、振り返って零を見ながら説明を始めた。
「綾小路静子(あやこうじしずこ)、中学時代の友だちだった。とっても正義感が強くて生徒会の中でも発言力があった。とくにいじめ根絶に対しては、ね」
零はなつみの話を熱心に耳を傾けた。
「いじめはますますエスカレートするばかりだけど、それでも静子は諦めなかった。持ち前の正義感と気の強い性格のせいもあるけど、もうひとつ、不思議な力があったみたいなの」
「不思議な力?」
「うん。和泉さんと同じかどうかはわからないけど、その力によって自分を暗示していたのね」
「つまり、自己暗示ってやつか」
なつみはうなずいたあと、また説明を続ける。
「それなのに、いきなり学校の屋上から飛び降り自殺したの」
それを聞いて、零の眼が大きくなった。
「いじめと闘って疲れたんだろうって、学校や世間はそういうふうに解釈するけど、でも、なつみは思えない。きっと不思議な力が何かの理由で使えなくなった」
なつみは伏せていた目を一度零のほうへ向けたあと、墓石のほうを見た。
「このお墓はね、静子のだけでなく、家族のお墓でもあるの」
なつみは自分の説明不足を詫びた。
「ごめん。なつみの話がヘタで。順序を話すと、静子の飼っていた犬が交通事故で死に、それから何か月かあとに、お姉さんとご主人と小学生の女の子の乗っていた車が、飲酒運転の暴走車にはねられて海に落ちた」
まさか、と零の脳裏に閃光が走った。
「それから静子の自殺」
なつみの目からひと筋流れるものがあった。零はおもむろに口を開く。
「その、静子さんが自殺したのは、いつのことだ」
「一か月くらい前」
連続事故が起こったのはちょうどその頃だ。
「テレビのニュースを見たとき、なつみはとっても信じられなかったの。そりゃ中学卒業以来だけど、彼女は学園の味方と呼ばれるくらい、ヒーロー、あ、女の子だからヒロインだった。教育委員会の誰かが、学園のジャンヌ・ダルクだと呼んだこともあったわ」
なつみは零を見やる。
「その時期からでしょ。和泉さんが調べている連続事故が起こったのは」
「確かにその頃だ。関連あるのかどうかわからんが、調べてみる価値はありそうだ。なつみ、教えてくれて、ありがとうよ」
なつみは首を横に振った。
「ほかに話がなければ、あたしはこれで帰るよ」
「和泉さん、くれぐれも気をつけてね」
「あぁ」
片手をあげて歩き去った零の背中を見えなくなるまで見送ったなつみは、不意に声をかけられた。
「どうやら和泉くんも調査していたらしいな」
びっくりして振り返ったなつみは、少し声を荒げた。
「ブルー。いたの。びっくりしたぁ」
「あ、いや、ごめん。協力してくれてありがとう」
「あの人、なつみがなぜ知っているのか、訊こうともしなかったわ」
「余裕がなかったんだな」
「え?」
「あ、いや、彼女は異次元空間、というか、霊界にかまけ過ぎたから、現実の世界のことを知らなさ過ぎている」
「そうかもね」
「もし彼女がもっと突っ込んで質問したりしたら、その時に僕は出るつもりだったんだがな」
「そうだったの」
ブルーこと蒼川健作は墓石を見て静かに合掌した。
蒼川健作もこの連続事故について調査していた。その過程で共通している事項をいくつか見つけた。ひとつは事故を起こした運転手の誰もが酒気を帯びていること。またひとつはいずれも会社員で、自動車製造関連企業に勤めていること。そして、被害者も加害者も必ず遺族に子供がいることだった。
その子供は学校はちがうが、女子高生でいずれもいじめっ子だという噂がある。しかも、同じ中学校の友人同士で、共通の敵が綾小路静子だった。激しく敵対していたと言う。解決することも仲良くなることもないまま卒業し、別べつの高校へ進学することになったが、突然静子の飛び降り自殺。いや、その前に飼っていた犬の交通事故と、静子の姉夫婦と娘(静子にとっては姪)の悲惨な交通事故。どれも飲酒運転が原因だ。
何か深い事情があるのではないかと考えた蒼川は、綾小路静子の姉、華子(はなこ)と夫の前田典孝(まえだのりたか)のことを調べ始めた。
綾小路華子は妹の活発的な静子とちがって、内気な性格でおとなしかった。そのために小学校、中学校、高等学校でもいじめられっ子だった。死にたいと思ったことはたびたびあると言う。それを救ったのは妹の優しさと両親の愛、そして飼い犬レオンの存在だった。何とか卒業し、就職した会社で前田典孝と出逢って恋愛をしたあと、結婚をした。
前田典孝は地方出身で真面目な青年だった。就職した自動車製造関連企業の下請工場で何年か働いているとき、新入社したばかりの華子を見て声をかけた。あまりパッとしない華子の表情が気になったと言う。それ以来、つき合うようになった。いつしか典孝の働きぶりが上司の評判になって、転属するとともに華子と結婚した。
娘も生まれて、幸せな家庭がまだまだ続くはずなのに、突然訪れた交通事故死。そして華子の妹、静子の飛び降り自殺。噂によると、姉の死を知ったときの静子は発狂寸前で、周囲の人びとの静止も振り切るほど衝動的に飛び降りしたと言う。まるで狂い死にのようだった、と……
何か、今までずっと守り続いたものが突然切れたので、それによって支えられていた感情が爆発するように、自己抑制できないまま、発狂、つまり精神も意識も人格もまったく別のものになった、と言えなくもない。それがどういうことなのか、今の蒼川にはまだ理解できなかった。
なつみの意見によって連続事故を調べなおした和泉零は、あることに気づいた。何か不一致のような気がするのだ。いつか、妖霊獣と闘ったときに現れた小学生の女の子は名乗らなかったが、前田典孝・華子の娘・典子(のりこ)だと思った。ほかに兄弟姉妹はない。だが、あのとき言ったではないか。
「パパとママとあたしと妹、そしてレオンです」
それじゃ、あの女の子はいったい誰なんだ。パパとママとは前田典孝・華子だとわかる。しかし、妹とは誰のことだ。いくら調べても、和泉零にはその解答が見つけられなかった。
「ふーむ。いくら考えてもわからねぇものはわからねぇ。やっぱりもう一度出逢って問い質すしかねぇようだ」
また高層ビルの屋上から都会を見張ることを考えたが、異次元空間でも逢ったのだから、霊感(霊能力の一種)で何とか呼び出してみようと思いついた。
「レオン、ならびに女子(おなご)よ。あたしの声が聞こえたら現れてくれ」
数秒待って零の視界に、レオンと女の子が霧が晴れるように出て来た。女の子の表情は氷のように冷たく感じられた。
「何か、用ですか」
「これ以上人間社会に復讐するのはもうやめるんだ。そりゃパパとママも、あんたも犬も交通事故で死んだのは悲しい。しかし、霊界のあんたが復讐したって、人間どもは変わらねぇ。人間の社会は人間の手で解決する。だから、どうか安らかに成仏してあの世へ旅立ってくれないか」
女の子はうつむいたまま、しばらく黙っていた。この機会だと思った零は問い質す。
「ところで、あんたは、前田典子ちゃんかい」
すると、女の子の体が一瞬震えたように見えた。何か秘密を暴かれたような状況だ。
「だとしたら、妹ってのはいったい誰のことなんだ」
答えに窮している女の子のかわりに、レオンが唸り出した。零の視線がレオンのほうへ向けると、レオンの口から声が出た。
「そんなことはキサマの知ったことじゃない。オレたちの邪魔をする奴は、誰であろうと容赦しない」
レオンが攻撃体勢に入った。
「レオン、おやめ!」
女の子の一喝で、レオンはたちまちおとなしくなった。その様子を厳しい眼つきで見ていた女の子は、零を見やった。すると、女の子の体が急成長するように背が伸びたかと思うと、大人の女性になった。零は驚いた表情で見守っていた。
「何か勘ちがいしているようだけど、わたしは典子じゃないわ。見ての通り、わたしは綾小路華子。でも、これも仮の姿」
「仮の姿、だと」
「そう。華子も静子も典子も、現在は魂だけになって肉体はなくなったの。みっつの魂が合体して、共同体になって、この姿になっているの。ほら、静子にも変化できるわ」
華子の体が女子高生になって静子の顔になった。その顔がレオンのほうへ向ける。
「レオンもね、肉体のない魂だけになってしまったけど、霊界の不思議な力で妖霊獣となったわ。人間の世界に復讐するための素晴らしい相棒だわ」
「綾小路静子。あんたは学園のジャンヌ・ダルクじゃなかったのか。いじめ根絶を願って必死に闘ったあんたは、いったいどこへ行ってしまったんだ!」
「人間死んでしまえば人間なんて未練も感じなくなるわ」
異様に歪んだ静子の瞳が光ったかと思うと、鋭い眼光が放ち、零を吹き飛ばす。
「うゎっ」
転びまわった零はすぐ起ったが、綾小路静子もレオンも姿が見えなかった。
「何てこった。魂が合体するとは思いもしなかったぜ。しかし、それでもまだ邪悪の存在は感じられねぇ。きっと裏に邪悪の意識が動いているにちがいねぇはずなのに」
零は悔しそうに歯ぎしりした。ふと、ちがう気配を感じて思わず振り返った。
「お菊さん」
「また逃げられましたか」
和泉霊は頭を下げた。
「申し訳ありません。ですが、次は必ず」
「今回はもしかすると、邪悪の概念というものは存在しないのかも知れませぬ」
「あたしもそうじゃないかと考えました。しかし、生きていた世界と死んだあとの世界でこうも簡単に性格が変わるものなんですか」
「零さんもおっしゃったではございませんか。人間の心は不可解だ、と」
「確かに言いました。しかし、あれほど正義感の強い人が、飲酒運転の暴走車に殺された姉のために、次つぎに人間社会に危害を加えるものだとは、とうてい思えません」
「言われてみれば、さようでございますね」
「やはり、どこかで眼に見えぬ邪悪な存在があると思えてなりません」
「そのような存在が、綾小路静子さんを操っているのじゃないかとおっしゃるのでございますね」
「そうです。それにちがいありません」
和泉零はそう断言した。
前田典孝、華子、典子をひき殺し、飲酒運転の違反で逮捕された畠野永治(はたのえいじ)の裁判が始まった。世間の議論では、飲酒運転は殺人未遂と同じだからもっと重い刑を出すべきだと言い、ほかの者は日本の法律で最も重い刑は無期懲役で死刑はないと言う。また、ほかのある者は死刑によって命を奪うことも法律で禁じられていると言う。さらに、被害者は一瞬で命を奪われたのだから、それと同じように、加害者の命も奪うべきだと死刑賛成の者もあるかと思えば、死ぬまで刑務所に暮らしてずっと苦しめばいいと言う者もあった。
市役所に勤めていた二十代前半の畠野永治は、無期懲役を言い渡された。世間の予想通りの結果だが、それでも議論は続いていた。傍聴席にいた記者団がくもの巣を散らすようにバラバラになった。その中に蒼川健作の姿も見えた。
刑務所に入った畠野永治は翌朝、死体となった。自殺でも殺人でも事故でもなかった。外傷もなく、毒を飲まされた形跡もなく、心臓が急に止まったかのような死体だった。死相は眼と口をやや大きく開いている。何か驚愕したような形相だ。だが、警察も法医学も死因がわからず、自然死ということになった。
不審な点を感じた蒼川は、なつみを通じて和泉零に逢うことにした。場所は大手新聞社近くの喫茶店である。なつみも零も普段新聞を読まないので、蒼川の話によって畠野永治が刑務所で死んだことをはじめて知った。
「刑務所で死んだ、死因は」
「自然死ということになっているが、警察も法医学も死因不明だと言っている。しかし僕は霊界の力に殺されたんじゃないかと思う」
それを聞くと零は蒼川を睨んだ。
「あ、いや、実を言うと、裁判が終って裁判所を出たとき、不思議な犬を見たんだ。それが裁判の終った畠野永治を乗せた警察の車を追いかけたんだな。普通の犬とは思えないスピードだった」
「そして、その夜にその犬が殺した、と」
「僕はそう見ている。和泉くんも心あたりあるんじゃないか」
蒼川と零の話をただ聞いていたなつみが不意に声を出した。
「その犬って、もしかしてレオンのことね」
「僕は写真でしか見てないが、よく似ていたように思う」
「いや、きっとレオンにちがいない」
「もしそうだとすれば今までの連続事故はどう説明するんだ。和泉くん」
「ふむ。あたしもわからない。復讐するためだったら、何の関係もない人たちを殺すこともないだろう」
「何か意味があるんじゃないのか」
「ブルー、和泉さん。そんなこといちいち考えても時間のムダだよ」
いきなり、なつみが割った。
「ね、和泉さん。もういちど霊界、というか、異次元空間に連れ出すことはできないの?」
「はぁ?」
「おい、まだ話が早いだろ」
蒼川が止めたが、なつみは無視して、
「手っ取り早く言えば、なつみもブルーも異次元空間に行くことができたら、和泉さんに協力できるし、早く解決するんじゃないかな」
零は一瞬あっけに取られたが、気を取りなおして、
「できないことはないが、危険が伴うよ」
「幽体離脱でしょ。それなら経験済みだし。ね、ブルー」
なつみの声に、蒼川はうなずいた。その顔を零は見ながら、
「ブルー。今回も何か、大きな謎があるんですね。かつての『記憶の封印』みたいに」
「今はまだ何も言えない」
「しかし、なつみを連れ出すことは危険だと思います。中学校時代の友だちだった綾小路静子に、何か話したいことはあるだろうけど」
「それもあるけど」
言い出したなつみは、ふと考え深そうな顔で、
「もしかしたら、出逢えるかも知れないから」
「ん、誰に出逢うんだ」
「まにいぬ」
「え?!」
和泉零は蒼川健作と天野なつみを異次元空間へ連れ出した。
「うわぁ、暗い所なのね」
「文句言わないの。なつみ、あんたが言い出したんだから」
「あ、ごめん、和泉さん」
「さて、誰を呼び出すか。綾小路静子にするか」
「うん。静子をお願い」
零は両手を合わせて呪文を唱え始めた。
「綾小路静子。ならびにレオン。あたしの声が聞こえたら現れてくれ」
何秒も経たずに、綾小路静子とレオンが霧の中から出て来た。静子はなつみの顔を見て、ちょっと驚いたように呼びかける。
「な、なつみ?!」
「しばらく、静子」
「しばらく、だなんて、世界がちがうじゃないの」
「それもそうね。中学卒業以来お互い逢わないまま、別の世界に来ちゃったもんね」
「それで何の用。人間の世界からわざわざ来てくれて恐縮だけど、わたしは忙しいからね」
「忙しいって、復讐することなの?」
「なつみには関係ないでしょ」
「だからなつみも殺すつもり?」
「な、何を言い出すのよ」
「ごめん、言いすぎた。でも、お願いだから、もうやめて」
静子は何も言い返さない。
「お姉さんたちが殺されて悲しいのはよくわかる。でも、だからって何の関係もない人たちを死なせたりしたって、お姉さんたちもきっと喜ばないわ」
なつみの訴えを聞いた静子の体が、少しぼやけたかと思うと、左右に分裂するように動き出し、体がみっつになった。それは華子、静子、典子だった。零が驚くように叫ぶ。
「みっつの魂が分裂したのか」
突然出て来た三人の姿を信じられぬふうで見比べていたなつみに、静子の姉、華子が話しかける。
「いいえ、わたしたちはむしろ嬉しいことだわ。身勝手な人間なんていくら死んでも減らないでしょうよ」
そう言った華子の口もとが異様に歪んだ。それは悪魔の冷笑のようだ。ゾッとしたなつみは華子のそばにいる典子の顔を見ながらしゃがんだ。
「ね、典子ちゃん。お母さんのやっていること、とってもいけないことなの。だから典子ちゃんも止(と)めてあげて。もうやめて、って」
すると、典子はなつみから離れて華子のうしろへまわった。
「大人なんて勝手な生きものだよ。約束を守らないからみんな死んでしまえ!」
「の、典子ちゃん」
典子の異常に歪んだ形相を見たなつみは、これ以上何も言い出せなかった。そんななつみに、静子が声をかける。
「どぉ、これでわかったでしょう。わたしたちは一致団結、異体同心なわけよ」
「それが君らの血筋なんだな。遠い昔から変わらぬ古(いにしえ)の風習」
いきなり別の声が聞こえたので、静子は誰何するように見まわした。
「誰、今言ったのは」
なつみのうしろから、蒼川健作が出て来た。
「あ、いや、失礼。僕はなつみの兄で蒼川健作という者だ。一応、ブン屋をやっている」
新聞記者だと名乗った蒼川に対して、華子、静子、典子は警戒した。蒼川は綾小路家にまつわる歴史を語り始めた。
綾小路家は昔から奇病を持っていた。それは呪いをかけられたからだという噂もあった。
戦国時代、綾小路は誉れ高き武士で何人も敵を斬り倒した。いつしか、戦闘本能と血の匂いが人格を狂わせるようになり、何の罪も何の関係もない庶民たちを斬り殺してしまった。殺されて無念の庶民たちの怨みが呪いとなって、綾小路家に住む家族や子孫のひとりかふたりは奇病にかかった。奇病とは人面疽(じんめんそ)、あるいは人面癰(じんめんよう)と呼ばれるものだった。最初は腕か脚にできものから化膿ができ、次第に大きくなって腫物になるが、その模様は人間の顔にそっくりだと言う。そのような奇病にかかった人の最期は誰も狂い死にしている。精神分裂、人格破壊、人面獣心、発狂獣姦などだ。
そのような奇病が何世代も続いた綾小路の一族は、その呪いを解くために、ある力を手に入れた。歪んだ体、姿を整えるための黒い力、整容魔術である。とくに女性の執着は著しいものだった。それが彼女たちを<魔女>に変化させたのだ。
「魔女、だと」
蒼川の説明を聞いた零が驚くように声をあげた。なつみも同様だ。綾小路静子たちは顔を歪めたまま、無気味な薄笑いを浮かべている。奇怪な形相だ。蒼川の説明がまだ続く。
時代が変わり、中世から近世へ移りゆく中で、綾小路の女性たちの魔術が高められるとともに、奇病である人面疽を封印するために、死面(デスマスク)を創った。人体の顔ではなく、人面疽の顔だ。その面を、魔力の炎で破壊した。以来、人面疽は出なくなったが、世代を越えると、不思議な現象が現れるようになった。
「それがいわゆる人体分裂だ」
蒼川は強く断言した。綾小路の三人は相変らずの表情だ。懸命に耳を傾けていたなつみだったが、今の言葉の意味が理解できなかった。
「人体分裂、ってどういう意味なの」
「人間はどこから生まれるか」
「え?」
いきなり話題を変えた蒼川の質問に戸惑いながら、なつみは答える。
「それは、母親のお腹から、でしょ」
「そうだな。女性の卵巣から生まれる。それが自然のルールだ。ところが」
蒼川は綾小路の三人を見まわした。
「彼女たちはそうじゃなかった」
「ホォーッホホホホ」
突然発狂したように高笑いしたのは綾小路静子だ。
「いかにもその通りよ。わたしたちは母親のお腹から生まれたのではない。だから病院ではなく、綾小路家直属の助産婦のもとで、秘密裏に行なわれたわけよ」
静子の説明に続いて姉の前田、旧姓綾小路華子の口がおもむろに開いた。そばに控えている娘の典子を見守っている。
「この子を妊娠している間、とっても恐ろしい現象があったわ。大きくなったお腹の表面に少しずつ浮き出たものは、だんだん人の顔に見えてきたわ。それは怨めしそうに、悲しそうに」
「隔世の変異、だな」
蒼川の言葉に、華子はうなずきながら、
「陣痛が起こっていよいよ産まれると思ったとき、お腹から産まれるという感覚じゃなかったわ。まるでお腹が切り取られるような感覚だった」
華子の説明を、なつみは恐ろしいものを聞くようで、思わず耳をふさいだ。
「人面疽が体と命を伴って出て来たのよ。まるで爪とかイボ、髪の毛を切るみたいにね。そりゃ、痛みはあったけど、そのときほど恐ろしいことはなかったわ」
口では恐ろしいと言いながら、娘の典子を見る眼は優しさにあふれている。静子が口を開く。
「人面疽と人体分裂、それが先祖からの血統で運命共同体ってわけよ。すなわち、わたしたちは人面疽から産まれた魔女よ!」
「人面疽、それは双生児の歪んだ形として産まれると聞いたことがある」
そう言ったのは蒼川健作。
「一卵性にせよ二卵性にせよ、産まれるはずだった命が、嫉妬で母親、あるいは兄弟姉妹の体に住み着くと言う。だからある意味では寄生虫だとも」
「やめて!」
華子が悲願するように叫んだ。
「それでも典子はわたしのかわいい娘だわ」
華子は典子を強く抱き締めた。
「華子さん、確か一度警察へ行きましたね」
華子はギクッとして蒼川の顔を見つめた。
「子供がいなくなった、だから捜してほしい。と、あなたは必死で訴えた。あ、いや、僕は警察に用事があったのでたまたま同じ場所に居合わせただけですが」
華子は何も言い返さなくなり、眼を横に泳がせた。
「僕は気になって、そっとあなたを見送っていました。そしたら見えました。一匹の犬がどこからともなく現れるのを」
それを聞くと華子は眼を大きくした。その様子を見た蒼川は、懐から何かを取り出した。それは新聞記事の切り抜きだった。『心臓発作か?! 男の死体発見』という見出しがある。
あるアパートに住んでいた男が死体となっているのを、遊びに来た友人が発見して警察へ通報した。警察の調べによると、部屋は荒らされてなく、体には何の外傷もなかった。男は三十代のサラリーマンで、部屋にはいくつものビデオがあった。アダルトビデオがほとんどだが、半分以上は十代前半の幼女、少女の姿、格好、裸体もあれば、猥褻されているシーンもあった。ビデオだけでなく、本や雑誌もそのようないかがわしいものもあれば、パソコンや携帯電話のインターネットでもその履歴から見て、ほとんどアダルトサイトばかりだ。
「大人なんて身勝手な生きものだよ」
いきなり怯え出して華子のうしろに隠れた典子の口から出たその言葉は憎しみが込められていた。蒼川は、華子の顔を見た。
「まだ発表はありませんが、この男が典子ちゃんを拉致したところを目撃したという人もあります」
それを聞いても華子の表情は変わらない。
「この男の死体は、畠野永治の死体と似ている。いや、まったく同じだ。外傷もなければ周囲も何の変化もない。華子さん、いや、君らが魔力を使って殺した。ちがいますか」
「そうよ。わたしが殺したわ」
華子が睨むように蒼川を見返した。
「典子を守るために。だから魔力でそいつの心臓を止めてやったわ」
「畠野永治も同じ方法でか」
「えぇ。そうよ」
華子は妹の顔を見た。静子も姉の顔を見て、お互いうなずき合った。静子が右腕を高だかとあげると、闇を引き裂くように、ひとつの光がほとばしった。稲妻だ。それが零、なつみ、蒼川の三人の前に落ちた。
「レオン、戦闘開始だ」
綾小路静子の号令で、妖霊獣レオンが前に飛び出た。和泉零が霊光剣を出して身構えた。迫って来るレオンを、霊光剣で防ぐが、躱されてしまう。
「ガルルルゥーッ」
レオンの唸り声が周囲にこだまする。その牙が零を襲う。以前よりスピードが速くなった。魔力のレベルがあがったのか。
「グッ」
零は後退できるだけ後退し続ける。レオンが追う。零の霊光剣が下から振り上げる。その刃先がレオンの右ほほを斬った。血のしぶきが零を赤く染めた。うしろへ遠くへ跳んだレオンは、荒くなった呼吸を整えた。
「レオン、なぜ人間社会を破壊し続けるんだ」
「自然の復讐だ」
「自然の復讐、だと」
「そうだ。大自然は怒りに震えておるのだ。だからオレたちが大自然の怒りを鎮めるために、人間のまちがった文明を破壊する」
「まちがった文明、だと。だからって破壊していいって法はねぇ。あたしは人間社会を守るために闘う!」
「幼き女子を平気で犯す大人の人間をか。飲酒運転してひき殺す会社の人間をか。いじめがあってもそれを黙認する学校の人間をか。市民の捜索願いがあっても身を乗り出さない警察の人間をか。果ては核ミサイルも作るどこぞの国の人間をか」
レオンの言葉には、人間に対する怨みがこもっていた。
「人間社会はルールを平気で破るような者ばかりだ」
レオンは攻撃体勢に入った。零も霊光剣を構える。
「それでもあたしは人間社会を守る!」
零とレオンはぶつかり合うように駆け出す。レオンが跳躍。それを見あげる零。降下のスピードで迫るレオンの牙と爪。零は霊光剣を低くした腰の所で構える。
「渇!」
霊光剣が一瞬光り輝き、視界を奪われたレオンの胴体をまっぷたつ!
左右に分裂したレオンが、それでも勢いを衰えない。いや、分裂したそれぞれの体の欠けた部分が生え出そうとしているではないか。
「何?!」
レオンが二体になったのだ。
「これも綾小路の魔力による魂の分裂なのか」
二体のレオンが同時に駆ける。零は後退しながら霊光剣を構える。そのとき、二体のレオンの脚が急に止まった。
「ヌッ?!」
レオンの嗅覚がちがう気配を捕えた。同様に綾小路の三人も新たなる存在を感じた。少しずつ霧が晴れるように姿を現すのを見た零が懐かしそうに呼びかける。
「お菊さん!」
「やっと見つけたのでございます」
「え、何をですか」
「今に現れましょう」
お菊の右手に持った物体を見て、綾小路の三人は怯えたように震え出した。
「姉さん。あの人形の右手に持ってるもの」
「ま、まさか」
お菊の右手に持ったもの、それは仮面だった。それを、綾小路の三人は勘ちがいしているのだ。かつて祖先が封印したはずの人面疽の死面だと……
だが、よく見ると、その仮面の額には角が生えていた。それをお菊は高く持ち上げた。
「さぁ、おいでなされませ!」
すると、仮面が意思を持ったかのようにお菊の手から離れて宙を泳ぎ始めた。一瞬光り輝いたかと思うと、その形が歪んで別の形になろうとしている。それは犬の形になりつつあった。その様子を見たなつみが、懐かしそうに呼んだ。
「あ、まにいぬ!」
確かに、それはまにいぬであった。しかし、その額には一本の角が生えているではないか。
「まぁにぃいいーッ」
吠えたまにいぬは二体のレオンを見定めた。
「自然の復讐だか何だか知らないが、生あるものを破壊するのは許さない」
「キサマもオレたちの敵か。ならば滅するまで」
二体のレオンが同時にまにいぬを襲う。まにいぬは跳躍。見上げる二体のレオン。まにいぬの右の前脚が一体のレオンを直撃。
「グヮッ」
はるか遠くへ飛ばされるレオン。それを見たもう一体のレオンもまにいぬの攻撃でうしろへ飛ばされた。
「グォッ」
そのレオンを目がけて、まにいぬの前脚のパンチが飛ぶ。レオンの顔、肩、胸に何発もぶち込む。
「まぁにぃいいーッ」
最期の一発がレオンを玉砕。まにいぬはもう一体のレオンを見る。そのレオンは今にも迫ってくるところだ。まにいぬも駆ける。激しいぶつかり合いだ。お互いの頭突きが押し合う。
「ガルルルルゥーッ」
「まにぃいいーッ」
一瞬まにいぬのバランスが崩れた隙に、レオンの牙がまにいぬの肩を喰らいつく。それを振り解こうと激しく動きまわるまにいぬ。左の前脚がレオンの顔を叩く。それでも牙を放さないレオン。そのレオンに霊玉弾が命中。牙がはずれて吹き飛ばされるレオン。和泉零がまにいぬの危機を救ったのだ。
「やれやれ。霊光剣のほうが威力はあるけど、レオンはまっぷたつになっても躰が生えるからな」
まにいぬはとっさに駆け出す。吹き飛ばされたレオンは体勢を立てなおす。まにいぬの両の前脚がレオンの躰を何発も続けて突く、突く、突く。レオンも負けじと攻撃を仕掛けるが、まにいぬのパンチに倒れる。まにいぬのほうが圧倒的に強い。
「まぁにぃいいーッ」
最期の一撃が吠えた。レオンは爆発するように粉砕した。
「レオン!」
綾小路静子が悲痛な声で呼びかけた。
「さぁ、次はてめぇらの番だ」
和泉零が綾小路の三人の前に立った。霊光剣を握っている。静子は華子と典子の顔を見交わしたあと、零のほうへ向いて冷笑した。
「フン、今回はわたしたちの負けということにしてやるわ」
「そうはいかねぇ。てめぇが来ねぇのならこっちから行くぜ」
零が霊光剣を振り下ろす。眼光を鋭く放った静子の右手が高く上げたかと思うと、稲妻が光った。一瞬眼がくらんだが、視界が戻ると、綾小路の三人は跡形もなく消えた。
「チッ、また逃げられたか」
悔しそうに呟いた零の右手から霊光剣が消えた。