DREAM&HOPE【http://www.drhp.org/】
まにいぬの犬小屋/第十六幕
八月九日・長崎原爆の日
祈りの泪
「暑いでちゅね」
「夏だから暑いのはアタリマエでしょ」
「はぁ」
「ちょっと、暑いからってタメイキついたりしないでよ」
「ご、ごめんなさい」
「それにしても久しぶりじゃん。ワタシらの出番なんて」
「そうでちゅね。あたしたちコンビなら今年(二〇〇七年)で二度目でちゅね」
「もっと出番を増やすように、やっぱ作者にデモをかけるべきだわね」
「はぁ、でも……」
「でも、何よ。シャレのつもり?」
「あ、いえ、作者さんは小説だけでなく、三次元立体制作(3DCG)も手を掛けているとか」
「そんなこたぁ、ワタシの知ったことじゃないわよ」
異次元空間の中、フランス人形のクリスティーヌとラブドールのあゆ子が散策しながらおしゃべりしています。そのとき、クリスティーヌは何を感じたのか、周囲を見まわしました。
「どうかしたんでちゅか。クリちゅティーヌさん?」
「今、何か<意識>を感じたんだけど、あゆ子、アンタは何も気づかなかった?」
「あたし、鈍感でちゅから」
のんびりした口調のあゆ子でしたが、次の瞬間、何を感じたのか、ギクッと肩を震わせました。
「あゆ子、アンタも感じたのね」
「ハイ、たしかに感じました。今まで感じた<意識>とはかなりちがうような」
「かなり大きいわよ」
「え?」
「意識そのものも、その存在もワタシらの想像以上だわよ」
「あ!」
何かを見つけたあゆ子が叫びました。その視線をたどって、クリスティーヌもそのほうへ顔を向けました。それはかなり大きい彫像でした。右腕は天に向かって、左腕は左のほうへのばしています。クリスティーヌがその名を呼びました。
「あ、アナタは、長崎の平和祈念像!」
それはまさしく、長崎県にある平和公園の平和祈念像でした。
「クリちゅティーヌさん、お知り合いのかたでちゅか」
「何言ってんのよ。長崎の平和祈念像と言えば世界中有名だわよ」
「はぁ、あたし、勉強不足だもので」
「日本人のアンタが知らなくて、フランス人のワタシが知ってるなんて、アベコベじゃん」
「そうでちゅね」
そんなふたりの会話を、平和祈念像は見おろしながら聞いていました。その様子に気づいて、クリスティーヌが振り向きながら見あげます。
「あ、ごめんなさい。すっかり無視してしまって」
「いや、気にせんでくだされ」
大きい体から発する声は、男らしい太い声でした。
「ワタシはクリスティーヌ。こっちはあゆ子」
「自己紹介、まことに恐れ入る。我、長崎の平和公園にある平和祈念像でござる」
「存じあげております」
「さようか」
平和祈念像の周囲から、何か光り輝くような半透明な丸いものがいくつも浮遊しています。クリスティーヌとあゆ子が不思議そうにそれらを見ていると、平和祈念像が教えてくれました。
「これらは、しょうりょうでござる」
「しょうりょう、あぁ、精霊(せいれい)のことですね」
「さようか。しょうりょうとも、せいれいとも言うんだったな」
精霊はしょうりょう、とも、せいれい、とも読みますが、しょうりょうとは死者の霊魂のことです。せいれいは死者の霊魂と意味は同じですが、広義な意味で、肉体から解放された自由な霊で、これは生霊(せいれい、いきりょう)と同じ意味です。またほかに、自然物や生物、無機物、人などにそれぞれ宿っている超自然的な存在、これは西洋で言えばフェアリー(妖精)と似たものだと思って差し支えないでしょう。
「原爆症のために、亡くなった方がたの霊魂ですね」
クリスティーヌは神妙な面持ちで合掌していました。それに見習って、あゆ子も手を合わせました。
昭和二十(一九四五)年八月九日、第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)で六日の広島に続いて、長崎も米軍の原子爆弾投下によって、あっという間に被災しました。それは見るも無惨な地獄絵図でした。巨大なきのこ雲とともに、放射能によって肉体が溶けるように焼き立たれたり、着けていた衣類のあとが肌に残って火傷を負ったり、頭髪が脱げたり、脱水症で狂おしく水を求めたり、それらは正視するに耐えられないような場面でした。
そのような中でも、辛うじて生き延びた人たちもいました。でも住居も家族も健康も奪われ、生きる意味を見失い、それでも苦しみながら懸命に生きる人たち、そして理不尽に死ななければならない人たち、そんな人たちの思念はたったひとつ、共通するものがありました。
「戦争はいやだ」
口では簡単に言えるかも知れません。でも、戦争の時代を生きてきた人たちにとって、愛する家族を奪われ、夢も希望も見失い、勝利する見込みのない戦争に、奇跡を信じて飛び立つ若き兵士たちの絶望と無念、そして、死と隣り合わせにいることの恐怖と闘いながら必死に生活してきた一般民衆……
笑うことも、喜ぶことも、泣くことも、楽しむことも、何ひとつ許されなかった背景にあったからこそ、訴える魂に共鳴するものがあったのでしょう。
戦後六十年以上経った現在も、広島の原爆ドーム、長崎の平和祈念像には世界中の人びとが訪れ、世界平和のために祈りを捧げ、原爆のために亡くなった方がたの冥福を願い続けています。
平和とはいったい何でしょうか。
戦争をしないことですか。あるいは武器を持たないことですか。
それでも、世界のどこかで紛争が絶えない地域もあるのです。そのために犠牲になるのはか弱い子どもたちなのです。また、核兵器を所有している国が、実験のために発射したりしているので、平和を守り続ける国にとっては大変な脅威としか言いようがありません。
平和とはいったい何でしょうか。
戦争あっての平和、と人は言うけれど、世界でたったひとつ、それも二度も原爆被災を経験したからこそ、戦争の愚かな論理と暴力的な背景に断固反対して、平和を守り続けていくことが、今の世代の、そして未来につながる、使命だと言えるかも知れません。
霊魂たちの訴えを聞いたクリスティーヌとあゆ子は、平和祈念像の意識が消えるのを、静かに見守っていました。元の無機物として、現実の世界へ帰って行ったのです。今後もたくさんの人たちの祈りの対象として、存在し続けるでしょう。未来永劫に、世界の平和のために……
「クリちゅティーヌさん、あたしたちのできることって何でしょうか」
「……やっぱ、平和の意味を考えることと、戦争をなくすこと以外、なさそうだわね。シンプルだけど」
「でも、あたしたち、やっぱり無機物的存在でちゅから、結局、見守るしかないでちゅね」
「それもそうね」
ふたりはしばらく散策していました。
「いくら無機物的存在だからって、ワタシらはワタシらのやりかたで、平和の祈りを捧げるしかないわね」
「そうでちゅね」
ふたりはそろって同じ方向へ両手を合わせました。熱心な姿勢でした。何分か続く中、ふたりの気づかない所で、ひとつの像が浮びあがりました。
それは聖母・マリア像でした。静かに閉じている両の眼からひと筋流れるものがありました。まさしく、祈りの泪、でした。その一滴、一滴がまるで、乱れた世の中を浄化するような清らかさがありました。