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蒼い鶴の気になる物語/第二話

風花聖夜(かざばなせいや)

 年も押し迫った寒い夜のことだった。光の鮮やかなイルミネーションを飾っていた街も、クリスマスを過ぎると、お正月を迎えるための準備で慌しくなる。そんな中、クリスマスの忘れもののような光景が、ふと彼女の目に入った。
「あ……」
 それは小さなサンタクロースが建物の陰に倒れている姿だった。彼女はすぐそばまで寄って、声をかけながら触ってみた。
「あの、どうかしたの。こんな所で寝てたら、凍え死んでしまうわ。あの、大丈夫?」
 彼女の声に対して、その小さなサンタクロースはピクリとも動かなかった。見ると、小学生の女の子のようだ。彼女は女の子の体温を確かめてみる。とたん、両の眼が大きくなった。
「……!」
 氷のように冷たい。彼女はすぐケータイを取り出して、一一九番へ通報した。そんな彼女の様子を、道行く群集は誰も気にしない。いや、気づいても、見て見ぬ振り、知らん顔のまま通り過ぎてゆくばかりだ。
 約十分後、救急車が到着し、サンタクロースの女の子は病院へ運ばれた。それでも、群集は興味なさそうに、通り過ぎてゆくのみだった。彼女は遠くなってゆく救急車のサイレンの音が、耳の奥にいつまでも消えないように感じた。

 年も改まった数日後、彼女はふたたびこの場所を訪れた。抱えていた花束をそっと置くと、静かに合掌した。そして手提げカバンから何かを取り出すと、それを花束と一緒にそっと置いた。手のひらに乗るような、小さなクリスマスプレゼントだった。彼女の表情はひどく悲しく沈んでいた。どこか悲しみと謝罪を込めた悔恨のように見えた。
「ごめんなさい。わたしがもっと早く気づいてあげれば、あなたは死なずに、また苦しまずに済んだかも知れないのに……ホントにごめんなさい」
 彼女の眼からひと筋流れるものがあった。ハンカチを出して涙のあとを拭きなおしながら、静かに立ちあがった。方向を変えて歩き出そうとすると、その先にひとりの男の存在を認めた。一瞬驚いたまま、彼女はその名を呼ぶ。
「ブルー……」
 それには応えず、僕は彼女の置いた花束のほうへ、眼を閉じながら手を合わせた。ほんの五秒くらいで終えると、彼女のほうへ向きなおる。
「大変だったな」
 何気なく言った僕に返辞するように、彼女、羽沢美鶴は力なくうなずくだけだった。

 数分後、僕らは喫茶店で向かい合っていた。僕は珈琲、彼女は紅茶を飲んでいるのだが、何も言い出そうとしない。僕も彼女も元来無口な性格である。しかし、決して気まずい空気が漂っているのではなかった。それは他人ではなく、僕と彼女は甥とおばという関係だからかも知れない。年齢が逆なので、奇妙な関係なのではあるが……
 ふと、彼女は僕のほうをちらと盗み見た。その視線に気づいて、僕も彼女のほうを見返す。
「ブルーは、タバコを吸わないの?」
「いや。僕はタバコを吸わない」
「そぉ……」
「タバコがどうかしたのか」
「えぇ。ちょっと吸いたくなって」
「君はタバコを吸うのか。あ、いや、タバコを吸っているところを見たことがなかったな」
「昔、吸ったことはあるけど、禁煙にしたわ」
「そうか」
 最近の若い女性の喫煙率が少しずつ増えているのはあまり好ましいことではない。しかし、暗い過去を持つ羽沢美鶴もタバコを吸うのは当然の成り行きかも知れない。
「タバコ、吸いたいのか。なら買ってやろう」
 僕の問いに、彼女は慌てて、片手を振りながら首を横に振った。
「やっぱりやめるわ」
 しばらく経って、ふいに彼女の口が開く。
「あの子、マッチを売っていたわ」
 何を話し出そうとするのか、僕には見当がついた。黙ったまま、僕は数日前の新聞を取り出して、彼女の前に置く。
 ――冬の惨劇。マッチ売りの少女、再現か?!
 という大きな見出しが、彼女の眼を釘づけにした。記事を読みながら、彼女の体は悲しみのために震えている。
「あの時、わたしが買ってあげればよかったんだわ」
 今にも泣き出すような声だった。
「マッチと言えばタバコの火をつけるためとは限らないわ。ろうそくとかキッチンとか焚き火とか、ほかにもいろいろ用途があるのに、わたしったらタバコしか連想できなかったから、つい買わないと冷たく言ってしまった」

 羽沢美鶴がその少女、弓坂可奈(ゆみさかかな)に出逢ったのは去年の十二月、クリスマスムードの雑踏の中だった。
「ねぇ。マッチを買ってちょうだい」
 そう声をかけられて、美鶴は振り向いた。そこにはサンタクロースの格好をした小学生の女の子が、美鶴を見あげながら、左腕にさげられた籠の中からマッチ箱を取り出すところだった。
「ごめんなさい。わたしはタバコを吸わないから。ごめんね」
 美鶴は断って、さっさと歩き出した。ふと気になって振り返ってみると、女の子はまた別の人たちにマッチを売るために一生懸命だった。
(小学生の女の子が路頭でマッチを売るなんて、アンデルセン童話じゃあるまいし……でも、何かのアルバイトかな?)
 深く観察もせず、それぐらいしか思い浮かばなかった美鶴は、また歩き出した。それきり、ふたりは出逢わなかった。そして、冒頭に書いた通りである。

「あの子、ただのアルバイトじゃなかったのね。それなのに、わたしはあの子に冷たくして……」
 美鶴は涙をこらえているようだったが、ハンカチを出しては鼻を抑えている。僕は何気なく声を出す。
「済んでしまったことは仕方ない。今さら自分を責めたって、元に戻らない」
「だから後悔してるのよ。あの子、わたしと似たような、いいえ、わたし以上にひどい境遇だったのに」
 そう言いながら美鶴は涙目で僕を睨んだ。
「あの子、きっとわたしを怨んでるわ」
「まさか、そんなことはない」
「いいえ、きっとそうよ!」
 ひときわ大きい声だったので、店員や店内客がいっせいに僕らのほうを見た。僕は席を立って、美鶴を連れ出す。
「出よう」

 弓坂可奈については、新聞記事にあることしかわからない。可奈は小学四年生の九歳で、内気でおとなしい性格だったが、成績優秀でスポーツもかなりできた。学校での評判もよく、友だちとのトラブルもあまりなかった。いつも笑顔を絶やさずにニコニコしていて、かわいい女の子だった。だが家庭に帰ってみれば――
 両親と三人暮らしで、その両親が可奈を虐待していた疑いがあるらしい。両親はパチンコ店を経営していて、繁盛ぶりは決して悪くなかったのだが、父親はギャンブルと酒のクセが悪く、どうかすると、幼い可奈に暴力をふるうことが日常茶飯だった。母親もまた、お金に対する執着が強く、養育費より自分のため(遊びや交際、セックス、服飾など)に浪費することが多かった。そのために両親のケンカが絶えなかった。そのとばっちりが幼い可奈にふりかかるのだ。
 地獄のような家庭と、天国のような学校、そんな境遇にありながら可奈は誰にも訴えることなく、誰にも相談することもなく、孤独で耐えていた。そんな中でも、たったひとつの楽しみは読書だった。とくに童話が好きで、アンデルセン童話を好んだ。それは半年前に亡くなった祖母の影響だった。優しかった祖母の存在が、幼い可奈にとって、たったひとつの安らぎでもあり、またぬくもりでもあった。

「だからあの子、辛い自分をマッチ売りの少女にたとえたんだわ」
 喫茶店を出た僕らはしばらく歩いていた。風がちょっと冷たいが、我慢できないほどの寒さではない。
「時代はちがうけど、あの子はあの子なりにマッチ売りの少女を演じたのよ」
 外がだんだん暗くなった。冬の夕暮れは周囲を灰色にぼやける。それとともに、点灯やネオン、光の飾りや窓明かりなどが点き、夜の暗さを薄める。人通りもまばらだ。僕らはいつの間にか、弓坂可奈が凍え死んだ場所に近づきつつあった。
「ネェネェー、ここで女の子が死んだってさぁ」
「あぁ、そうらしいな。ま、オレたちにゃ関係ねぇこった」
 すれちがう若いアベックの声が聞こえた。そのまま通りすぎて、ふたたびこの場所へ来た。美鶴が置いた花束とクリスマスプレゼントは以前と変らぬ位置にあった。それを見ながら美鶴は眼を閉じ、また合掌する。
「ねぇ。マッチを買ってちょうだい」
 ギクッとして思わず眼を開けた美鶴がそこに見たものは――
「ねぇ。マッチを買ってちょうだい」
 なんと、そこに死んだはずの弓坂可奈が立っているではないか。サンタクロースの格好で、左腕にマッチ箱をたくさん入れた籠をさげながら、美鶴を見あげている可奈の姿は、生前と変らなかった。
「ねぇ。マッチを買ってちょうだい」
「あ、ハイ。ちょっと待ってね」
 落ち着きを取り戻した美鶴は手提げカバンから財布を取り出した。
「おいくら?」
「マッチ箱ひとつで百円になります」
「じゃあ、それ全部くださいな」
「え?」
「その籠にあるマッチ箱、全部ください」
「ぜ、全部、ですかぁ」
「えぇ。全部よ」
「ありがとうございます」
「いくつあるかしら」
「えーと、ちょうど二十です」
「ピッタリだわ。ハイ、二千円」
 美鶴が二千円札を手渡そうとしたとき、可奈はなぜか受け取ろうとしなかった。
「……可奈ちゃん?」
 すると、一歩うしろへ身をひいた可奈の姿が少しずつ透明になろうとしている。寂しそうだった可奈の顔がパッと笑顔になったかと思うと、片手を振りあげた。
「ありがとう。お姉さん。可奈のことをそんなに悲しんでくれて」
「可奈ちゃん?!」
「でも、そんなに悲しまないでいいよ。可奈はね、いちばん大好きな人のところへ行けたから」
「え?」
「クリスマスプレゼント、ありがとう。大事にするね」
 見ると、可奈の手にはいつの間にか美鶴が置いたクリスマスプレゼントがあった。マッチ箱の籠はどこにも見えなかった。
「お姉さん。ホントにありがとう。さようなら」
「可奈ちゃん!」
 美鶴の呼ぶ声もむなしく、可奈の姿は闇に溶けるように消えた。その姿を懸命に探す美鶴の肩に、手を置く者があった。それによって、美鶴は現実に戻った。
「え、ブルー?!」
 どうやら美鶴は弓坂可奈の幻を見ていたようだ。いや、言い方を変えるとすれば、弓坂可奈の霊と話したことになる。
「ブルー。わたし、どうかしちゃったの」
 何が何だか混乱している美鶴は、僕がある方向へあごをしゃくるのを見て、その方向へ視線を向けた。花束のところに、いつの間にかクリスマスプレゼントが消えていた。
「あ……」
 美鶴は自然に上を見あげた。都会の夜空に星ひとつ見えなかったが、なぜか可奈が天使になって舞いあがる幻影が見えるようだった。
「可奈ちゃん。もしかしたら可奈ちゃんがいちばん大好きな人というのは……」
 アンデルセン童話の『マッチ売りの少女』を読んだから、その内容と同じように、きっと可奈も大好きな人のところへ行ったのだ、と美鶴は思った。そう思えると、悲しく沈んでいた心が、だんだん温かくなるように感じた。
「月遅れのクリスマスの奇跡だわ」
 ふと、夜空からちらちらと白いものが舞い散った。それを両手で受け容れ、その肌触りの優しさを確かめようとする美鶴の姿があった。
風花聖夜