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蒼い鶴の気になる物語/第三話

花嫁無情(はなよめむじょう)

「おめでとう!」
 久しぶりに晴れ渡った空の下、ひとつの教会に結婚式が盛大に行なわれていた。その披露パーティーで、新郎新婦に多くの友人たちが祝った。その席上に羽沢美鶴の姿が見えた。薄青いパーティー用ドレスを着ていて、片手にカクテルグラスを握っている。半透明な液体が少し揺れた。
「もう結婚か。まだ二十歳でしょ」
 という声が、美鶴の耳元で聞こえた。それは美鶴に聞かせるようなささやく声だった。振り向くと、着飾った女性が美鶴に片手を振って微笑んだ。
「羽沢さん。お久しぶり」
 逢ったこともない顔だ。いや、昔のクラスメートだろうか。記憶を辿ろうとしている美鶴に、女性は自己紹介をする。
「あ、覚えてない。あたし、リンダ。ホラ、高校のクラスメートだった」
「え……」
 もちろん覚えていたが、美鶴の頭は混乱した。
「あ、リンダって、林田(はやしだ)くんなの?」
「そぉ。その林田が今のあたし」
 リンダというのは本名の林田の林をリンと読んで、呼ばれたあだ名だった。本名は林田透(とおる)、れっきとした男子の名前だ。だが、その性格や体格、話しかたなどは女性的なところがあり、本人もあまり気にしてなかったので、リンダという名前で呼ばれていた。噂によると、女装の趣味もあったと言う。そんな林田の女装を見たことがなかったので、美鶴が相手を認識できなかったのは無理もなかった。
「林田くん。いくらなんでも女装で結婚披露パーティーに出るのはまずいんじゃない?」
「あら、これ、女装じゃないわよ」
「え?」
「あたし、女になったのよ」
 それを聞くと美鶴は一瞬驚いたまま、林田透の全身を眺めまわした。ロングドレスを包んだ体は男性的より女性的な部分が目立った。角張った部分より丸まった部分のほうが、肉体美より妖しい魅力が充分あった。豊胸手術を受けたのか、胸の形もよく、どこか面影の残る顔も、細長く、化粧慣れしている。
「あ、手術したの、その、性転換とか?」
「えぇ。二年前にね」
「え、二年前って、じゃあ、卒業のあとに?」
「そぉ」
 美鶴は唖然したまま、次の言葉を話すことができなかった。

「ん、ニューハーフ?」
「えぇ。高校時代のお友だちの結婚披露パーティーに、同じクラスの男の子がいて、その子が女の子になったの」
「そうか」
 結婚披露パーティーのあと、美鶴は喫茶店で僕と向かい合った。
「性同一性障害、というやつか」
「あのときはそれほど思えなかったわ。おねえキャラだったと思う」
「本人の悩みは深刻だったろうな」
「そんなふうには見えなかったし、いつも明るかったから」
「他人が思うほど、心の中はわからない」
「それもそうね」
 そう言って美鶴は紅茶を一口飲んだ。甘く苦い味が口の中に広がってゆく。
「ただ……」
「ん?」
「何と言うかな。かなりショックだった」
「そうだろう。時が過ぎれば人間も変わる」
「でも、やっぱりわからない」
 僕を見ていた美鶴の視線が、目の前の紅茶カップに行く。
「親からもらった大切な身体なのに、男から女に変わるなんて、もしかしたら元に戻れなくなるかも知れないのに」
 美鶴は紅茶を眺めながらつぶやくように言った。僕は何も言わなかった。
「人生も運命も大きく変わるかも知れないのに、結婚もできなくなるのに」
「それが彼らの、あ、いや、彼女らの芸術であり、創作でもあり、そして文化でもある」
「文化、ですって?」
「彼女たちの言葉を借りれば、自らの体を作り変えるのではなく、作りなおそうとしているだけだ。あるいは生まれ変わろうとする」
 美鶴はただ僕の顔を見つめるばかりだ。
「神さまがまちがえて男の体に産んでしまった女の子。それがニューハーフだ。あ、いや、正しくは、それが性同一性障害だ。もちろん逆の場合も言える。要するに自分の体に違和感を持ち、それを認めたくないという、精神的な病気、あるいは障害。すべてがそうだとは言わんがな」
「神さまがまちがえて男の体に産んでしまった女の子……」
 僕の言葉を美鶴は反芻するように呟いた。
「ブルーは、逢ったことあるの?」
「性転換してなく、女装が職業の人なら以前逢ったことがある」
「普通の感覚で話すことはできた?」
「僕はあくまで他人だから、ひとりの人間として接しただけだ」
「え、他人って。じゃあ、どういう方なの」
「妹がかつて父と呼んだ人物だ」
「え、なつみちゃんのお父さん?」
 僕は小さくうなずいた。僕と天野なつみが異母兄妹だということを、もちろん美鶴も知っている。
「なつみちゃんがかつて呼んだお父さんって、どういう意味なの」
「なつみの母が再婚した相手で、もちろんなつみとは血のつながりもない。しかし、幼いなつみは『パパ』と呼んだ」
「何だか複雑そうな家庭ね。今は一緒に住んでるの?」
「いや、両親が離婚しているから別居だ」
「そぉ……」
 美鶴は何か聞きたそうな顔をしていたが、遠慮したのか、うつむいて紅茶を口に運ぶ。
「なつみちゃんも」
 飲もうとしていた紅茶を途中でやめて、美鶴がまた僕を見て言った。
「なつみちゃんも、ずい分悩んだんでしょうね」
「あぁ」
 うなずいた僕は、考えながら言う。
「よかったら、なつみにいろいろ話を聞いてみるのもいい。あるいは僕が話してやってもいい」
 美鶴はちょっと考えるふうに首を傾げたが、僕のほうを見ながら少しうなずいた。
「そうね。いつの日か、ぜひお話を聞かせてね」
 余談になるが、天野なつみと血のつながらない父のことは、旧・なんでも雑談の『母親登場』から『父娘再会』に至るまで、発端や謎、調査、結果などを少し触れているので、興味あったらぜひ読まれたい。断っておくが、僕(蒼川健作)と天野なつみはblue&merryという名前もあるので、そのつもりで。また、その父の若い頃の話が新誠の書斎『海の墓標』にあるので、続けて読まれると、相関がわかるかも知れない。

 数日後、シトシト降る雨の中、美鶴は黒い衣装で、ある場所へ向かっていた。葬儀・告別式だった。高校時代の友人で、飛び降り自殺したと言う。遺書はなかった。最近婚約したばかりで幸福真最中のはずなのに、この知らせは美鶴を充分驚かせた。告別式には奇しくも、数日前の結婚披露パーティーに集まった顔ぶれがそろっている。その中に林田透ことリンダも見えた。女性用の喪服姿がよく似合っていた。美鶴の存在に気づくと、近づいて声をかける。
「羽沢さん。お久しぶり」
「……しばらく」
 返辞に窮した美鶴はちょっと頭を下げた。
「皮肉なものね。こないだおめでたい結婚があったばっかりなのにさ、今度は自殺ですって」
「え、えぇ」
 リンダは急に声を潜めて周囲をはばかるように、
「彼女がなぜ自殺したのか、わかる?」
「さぁ。誰もその話でもちきりだけど、心あたりがないんですって。わたしもいきなりで、訳がわからないわ」
「そぉ」
 リンダは美鶴の耳に近づいた。ついその気になった美鶴は耳を傾ける。
「さ、ぎ」
「……え?」
 その言葉の意味を理解できなかった美鶴は、一度リンダの顔を見た。リンダは小さい声で、
「彼女ね、詐欺に遭ったのよ。それも卑劣な方法でよ」
「それって、結婚詐欺のことなの?」
「そう」
 リンダは真顔でうなずいた。
「林田くん。何か知ってるの。知ってるのなら教えて」
「……あたしが今話すより、いつの日か新聞に載るか、マスコミに出るかも知れないから、読んだらいいわ」
「え、新聞?」
 それには答えず、リンダは急に話題を変えた。
「あたし、きれい?」
「え、な、何、急に?」
「真面目に答えて。あたし真剣なのよ。どこから見ても女に見える?」
「ええ。どこから見ても女だし、とってもきれいだわ」
 それを聞くと、リンダは満足そうにほほ笑んだ。
「それを聞いて安心したわ。ありがとう」
「そんなことよりさっきの質問に答えてよ。新聞が何ですって」
「女ってね、惚れた相手の言うことなら何でも聞いちゃうのよね」
 またもや質問をはぐらされたが、美鶴は内心憤りつつ、遺影を見やりながら、
「彼女がそうだって言うの?」
「彼女もそうだし、うちの姉も……」
 リンダはハッとして口を噤んだ。美鶴は初耳だったらしく、聞きとがめる。
「え、お姉さん?」
「何でもないのよ。聞かなかったことにしてちょうだい」
 リンダは遺影に目を向けると、合掌し、深ぶかとお辞儀した。その目の奥に、めらめらと青い炎が揺れているように見えた。
「それじゃ、羽沢さん。元気でね」
 そう言ってリンダこと林田透は片手を振って美鶴から離れた。そのうしろ姿を美鶴はいつまでも見送った。嫌な予感をかすかに抱きながら……

 さらに数日後、テレビのニュースを見ていた美鶴は大きく驚いた。
「え!」
 テレビの画面に林田透の顔写真が大きく、画面の字幕には殺人容疑者・林田透と出ている。美鶴はキャスターの話す内容に耳を傾けた。
『林田透はリンダという名前でいくつかの出会い系サイトに登録していることがわかりました。殺された男性は出会い系サイトで知り合い、約一か月交際していましたが、最近マンネリ気味でけんかが多くなった、と取り調べた警察が記者会見で発表しています。今後も取り調べを続ける模様です。続きまして次のニュース』
 美鶴はいきなりで何が何だか混乱していた。すぐ警察署へ行こうとタクシーに乗った。警察署の前に着いたが、マスコミ関係の人たちが多くたむろしているので、容易に通れそうもなかった。どうすればいいのか、わからない美鶴の肩に手を置く者があった。ギクッと振り向くと、美鶴の顔が安堵したように見えた。
「ブルー」
「どうしたんだ」
「あ、逮捕されたんでしょ」
「ん、林田透のことか」
「えぇ」
「そうか。いつか話した性転換の友だちが、林田透のことだったのか」
「いったい何があったの。わたし、テレビのニュースを見たばっかりで、居ても立っても居られず、ここへ駆け込んで……」
「僕も詳しいことはわからない。何かわかったら連絡するから、とにかくここから離れるんだ。林田透の交友関係に君の存在が知れると、マスコミ関係は君を訪れるだろう。彼らに気づかれないうちに、早くここから立ち去るんだ」
「えぇ、わかったわ」

 その後、僕は林田透のことについて、調べまわった。出生や家族、交友関係など、いろいろ知ることができた。
 林田透がなぜ女性的な性格になったのか。それは男勝りなみっつ上の姉に反発するためだと言う者があった。性格も体格も何もかも対称的な姉と弟だった。生まれるときに、神さまが心と体をまちがえて逆にしてしまったとも言われた。
 もの心ついたときから性同一性障害に悩んだ透とちがって、男勝りだった姉がだんだんしおらしくなり、きれいな女性になった。女性的な弟を恥じたのか、肉体的な男を好み、出会い系サイトに登録したり援助交際を始めたり、男との交際に関して乱れに乱れた。高校を卒業し、定職につかずにフリーターになったが、援助交際で得た収入で自動車学校に入学し、免許取得に成功した。中古だが、お気に入りの車を購入し、乗りまわした。
 そんなときだった。姉が事故を起こしたのだ。アルバイトの帰り、暗い道を運転中、横からの歩行者に気づかずにはねた。怖くなった姉はそのままひき逃げしてしまった。
 それからというもの、マスコミや新聞に対して、びくびくしていた。いつ、自分の事故が露見されるか、気が気でなかった。しかし、それらしい発表はなかった。病院に運ばれて仮にも意識不明だとしても、病院側が警察に通報してくるだろうし、家族や周囲のこともある。
 その夜、アルバイトから帰り、あの事故現場を見てみようという気になった。通り道であるから嫌でも通うことになる。気が重いのだが、確かめてみたい気もあった。
 その現場へ近づいた時、思わずブレーキを踏んで車を停めた。顔を見てないからわからないが、姿格好から見て、昨夜の歩行者のようだ。その歩行者が片手をあげて、姉の車を止めたのだ。頭が半分禿げた初老の男で、見ると片足に包帯を巻き、松葉杖をついている。恐怖のために震えている姉は運転席で固くなった。そんな姉に対して、初老の男は臭い息をはきながら、こう言ったのだ。
「事故はなかったことにする代わりに、金をいくらか――」
 これは、脅迫だった。金がなければ、この事故を警察に通報する、とも初老の男は言った。身の破綻を感じた姉は手持ちの現金を初老の男に渡した。
 それから姉は秘密保持のために、初老の男に金を渡すようになった。最初は一か月に一回程度だったが、だんだんその間隔が短くなり、金額も高くなった。生活が苦しくなったので、水商売も始めたが、生活費が思うように稼げなかった。
 出会い系サイトによって知り合い、つき合うようになった彼氏に思い切って悩みを打ち明けたが、予想に反して彼氏の態度は冷たかった。事故を起こし、ひき逃げした上に、その秘密のために金を渡すような女とはつき合えない、とあっさり別れ話を持ち込んだのだ。
 傷心に傷心を重ねた姉は耐えられずに、自殺した。このとき、姉は二十一歳、弟の透は高校卒業を目前に控えた十八歳だった。
 姉の遺書によってすべて知った透は復讐に燃えた。姉は気づかなかったのだが、彼氏や初老の男はグルで、結婚詐欺グループではないかと睨んだ。事実、姉の死後、彼氏の消息がわからなくなっている。家族も出生も過去のこともすべてデタラメだ。また、初老の男は、走行中の車にわざとぶつけて治療費などを脅し取る当たり屋にちがいない。
 幼い頃から何もかも反対だった姉弟だが、仲は好かった。大好きだった姉を自殺に追い込んだ男たちをどうしても許せず、その男たちに近づくために、透は自ら女性になることを決心した。いくつかの出会い系サイトに登録して標的の男に逢うきっかけをつくり、また自ら車を運転して当たり屋を追及した。
 そして……
 結婚詐欺グループはいつもと同じ手口で林田透ことリンダに近づき、とことんつき合ったあと、車を運転しているところに当たり屋を差向けた。だがすでに正体を見破っているリンダは、慌てるふうもなく、落ち着いた。
「フン、当たり屋さんの出番ですかね」
 車の前に倒れた初老の男を見おろすようにリンダが言った。その声を聞いた初老の男は突然起きあがる。
「テメー、オレに車をぶつけておいて、そのセリフはないだろう」
「おや、思った以上にケガがなくてよかったですね。お大事に」
「な、何だとぉ!」
 運転席に戻るリンダを捕まえた初老の男は、だが反対に後部座席に乗せられた。
「テメー、オレをどうしようってんだ。お、女のクセになんてバカ力!」
 何も答えず車を発進したリンダが向かった先は、彼氏のマンションだった。リンダはすでに気づいていたのだ。彼氏と初老の男は親子だということを。
 すべて正体を突き破ったので警察に突き出そうとするリンダこと林田透の行動を制止しようと、親子が躍起になり、息子のほうがナイフを持った。刺そうとする息子と刺されまいと身をかばう透がもつれ合っているうちに、透の手にナイフが握られ、その勢いで誤って息子の腹を刺す!
 腹から真赤な血を流して苦しんでいる息子を目の前にして、父親は逃げ出した。林田透はナイフを握ったまま、ただ呆然と立ち尽くしているだけだった。近所の通報で警察に連行されるまで……

「そうだったの」
 僕の話を聞き終えた美鶴がため息をついた。僕らはある場所へ向かうために歩いている。
「でも、やっぱりわからない」
「ん?」
「人間ってそこまで思いつめて、自分の人生を、幸せを捨てることができるの?」
「僕には断言できないが、林田透にとって、それが人生のすべてであり、また彼なりの幸せだったのかも知れない」
「復讐とか人を憎むことが幸せなはずはないでしょう!」
「それはもちろんそうだが、一般論でしかない」
「一般論ですって?」
「いつかも言ったように、人の心は闇なんだ。わかっているようで、実は何もわからない。たとえ親子でも兄弟でもだ」
「………」
「林田透にとって復讐を果たし得たとき、自分の人生が終ったと思ったのかも知れない」
 美鶴は何も答えられず、うつむいた。いつの間にか墓地に着いた。墓碑には『林田家累代の墓』と彫られている。林田透は裁判を待たずに、警察署の窓から飛び降り自殺したのだ。
 美鶴は墓の前で合掌した。美鶴のうしろで僕も合掌する。
「林田くんが訊いてたわ。あたし、きれいか、って」
 いきなりそう言った美鶴の背後から、僕は美鶴の後頭部を見た。
「わたしが出逢った林田くんの中で、それがいちばん輝いていたように見えた。高校時代のおねえキャラ以上に、すてきな笑顔だった」
 それを聞いた僕はふところからある物を取り出し、それを美鶴に渡した。一冊のノートで、表紙には『リンダ日記』と書いてあった。
「これって、林田くんの日記なの?」
「小学校から続けていたもので、それは二年前、高校卒業前後のものだ」
 そのページを読み始めた美鶴の表情が驚いたり悲しんだりため息をついたり、と変化した。林田透は見た目も性格も女性的だったが、心まですべてそうであるとは言えなかったようだ。クラスメートだった羽沢美鶴のことを、ひとりの男として意識し始めたらしく、男と女の狭間で揺れ動く悩みなど、実に生なましく書かれてあった。しかし、復讐のために女になることを決心し、それとともに美鶴のことを忘れようとしたのであった。
「林田くん」
 墓標を眺めた美鶴の髪の毛が風に揺れた。